浄土真宗千葉組

千葉県にある浄土真宗本願寺派(お西)の活動を紹介しています。

05月

5月法話

雲妙寺 大善文彦

「天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位」という大きな節目を迎えました。

天皇陛下御退位 ご苦労様でした。

皇太子殿下天皇御即位 お祝い申し上げます。

国民そろってお祝いいたします。

さて 新元号が「令和」になりました。

何でもそうですが、新しい亊や物に変わった当初は、なかなか馴染みません。

しかし、次第に目に馴染み、手に馴染んで、いつしか違和感は薄れて来ます。

「令和」も耳に入り 口にし 読み書きをするうちに、自然と馴染んでくることでしょう。

私は「昭和」という時代に生まれました。

年齢を重ねるにつれて、姿や形 口にするものや思うことが、随分と変化してきました。

幼い頃は、苦い味の「ふきのとう」等は「ぺっ ぺっ」と吐き出していました。

それが「平成」に変わる頃には、コーヒーが飲めるようになり、「ふきのとう」が美味しく感じるようになり、ついには「アルコールの苦さ」までも「美味しい」と喉を通るようになりました。

そのように 私とは、時間とともに、コロコロと変わります。、

その私の側の条件・状況が、どれ程変化したとても、私を目当てとしたお方が変化せず、「おまえを救う まちがわさんぞ そのまま来いよ」と呼び続け、働き続けておられます。

一般仏教では、煩悩ぼんのうを断って覚りに向かう、という宗派しゅうはが多いです、が 浄土真宗じょうどしんしゅうにおいては、煩悩ぼんのうを断つこと無く、涅槃ねはん(お覚り)に至る。 それが大きなポイントです。

不断煩悩得涅槃ふだんぼんのうそくねはん」と、宗祖しゅうそ正信偈しょうしんげにお書きです。

その理由は、私の側のデレデレだらだらを、シャッキとさせるぞ、ということではなく、阿弥陀様あみださまの側が間違い無いからです。

阿弥陀仏あみだぶつとは、私の側に どのような煩悩ぼんのうという障壁があっても、それは妨げにはならない、問題にはならない、救いづらいことにはならないよ、と 別名の「尽十方無碍光如来じんじっぽうむげこうにょらい」と働かれています。

その阿弥陀仏あみだぶつ 既に私に入り満ちて、「南無阿弥陀仏なもあみだぶつ」と声の相で現れます。