本願寺
法話

7月法話 「お盆」 

お盆                       西方寺  西原祐治

 

お盆は、先に往った方々を偲び、その先祖が残してくださった浄土真宗のみ教え仰ぐ法会です。

先祖の方々を仰ぐことは、そのままその先祖に見られている私を見つめることでもあります。

私たちの生き方は、常に未来に向かって願いもって過ごしています。人が苦しみに出遭っても耐えていけるのは、その先にある“良い結果”という希望に通じていると思えるからです。しかし、より良い結果に向けての歩みは、許された時間の中にのみ成立します。歩むべき時間がないとき、今の歩みそのものが、そのまま大いなる結果そのものでなければ、その人には安住はありません。

先般、ご往生されたご門徒のSさんは、生前がんを患い、「あと三か月くらい」と告げられてから暫くして、こんなことを話されました。

「 私に残っている時間は、まあ簡単に計算すると四十五日くらいでしょう。こうなると、いま目の前に起こった出来事、目の前に現れた事柄を只々、一つひとつこなしていく、それしかありません。皆さん方には、〝明日のための今日〟だと思います。しかし私のように時間が限られてくると、明日という日はありません。〝今日一日のための今〟しかありません。〝今〟があるのは〝今日一日のため〟なのです」

私たちに恵まれている浄土真宗のみ教えは、〝よき結果〟に向けて努力していく道ではありません。

阿弥陀さまの願いと働きの結果である「南無阿弥陀仏」のお念仏によって開かれていく「摂取(せっしゅ)の光明のなかにある今」を生きる道です。

この道を、亡きあの方も行った。そして私も今、先祖の方々の導きによって、その道の上にある。“ようこそようこそ”と先祖の方々に感謝する営みが、お盆のお勤めです。