法龍寺
法話

恋しくば 南無阿弥陀仏を称うべし 我も六字の うちにこそ住め

見真寺住職 山内恵一朗

 💚3月の法話💚 

先月、お寺に「義母(はは)の27回忌なのでお参りに伺いたいのですが」と一本のお電話がありました。

こちらが、「ご法事の予約ですか?」と伺いますと、郷里のお寺でご法事は済ませてきたとのこと。

お名前をお聞きしますと、珍しいお名前でしたので、故人をすぐに思い出しました。電話をかけて下さったお方は、30年程前にお寺によくお参りしてくださっていたおばあさんのお嫁さんでありました。

当時、私は学生でしたのでお寺のことはよくわかりませんでしたが、熱心なそのおばあさんのお名前はよく耳にしていたのです。

おばあさんは、お寺で知り合った仲良し5人のお友達とご法座の日にはお弁当を作って、お寺の近くに住むお仲間のおうちでお昼を食べて、「今日はどんなご講師さんだろうか?どんなお話を聞かせていただけるだろうか?」とおしゃべりをしてからお寺に来てくださいました。ご法座を何より楽しみにして下さったお方でした。

「義母(はは)が当時よく参っていたお寺に27回忌ということもあり、是非お参りしたいのですが」ということでしたので、こころよくお約束をし当日を迎えました。

当時のことをよく知る私の母が、おばあさんと一緒にお寺で撮った写真を用意して待っておりますと、到着早々、玄関先でお嫁さんが写真を見せてくださいました。母が用意していた写真と同じ写真です。

それからおばあさんの思い出をひとしきりお話をしてから、本堂でお参りをされました。懐かしく嬉しい出来事でした。

ちなみに、うちのお寺にはおばあさんのお墓もなければご遺骨もありません。27年も経ちますと、おばあさんが参ってくださった本堂も、お参りに来て下さる方も変わってしまいました。

うちのお寺にはあばあさんのお墓もお骨もありませんが、「義母(はは)があの頃楽しそうに参っていたお寺に行って手を合わせたい」という気持ちになられたというご縁に出あい、私も、仏さまとなられたおばあさんのおはたらきそのものに出あわせていただいた気持ちになりました。

ちかごろ、終活という言葉をよく耳にいたします。お墓やご遺骨をどうするかも、大切なことと思います。

しかし、私がいのち終えてからどんな世界にいるのかを、残された者に伝えおくことも大切な責務だと思います。

お彼岸を縁として、ともにお聞かせいただきましょう。

称名

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