浄土真宗千葉組

千葉県にある浄土真宗本願寺派(お西)の活動を紹介しています。

千葉組日記

ブログ一覧

4月法話「みほとけを鏡として」

常圓寺 井上敬信

 令和二年二月、おりからの新型コロナウイルスの影響でマスクや消毒液が手に入らない状況が続いていました。オークションサイトなどでマスクが高額で取引されるようになっていましたが、三月に法律が改定されて高額の取引が出来なくなりました。この出来事をテレビで見ていた時に「これってウインウインの関係だよな」と思いました。

 ウインウインとはウインは英語でWIN、勝利をあらわす言葉です。双方がうまくいっていること。特に、政策において両者にとって適度に都合がいいことを言います。この場合では売り手も安く手に入れたマスクがものすごく高く売れるという利益、買い手も何件もはしごしても手に入らない、またどうしても欲しいと思っているマスクが手に入る利益が一致したからこそ、この売買が成立するわけです。ですけれども転売を考える人がマスクを買い占めたり、不当に利益を得ていることを問題視して法律で規制することになったわけです。人間は自分の都合を求めてしまいます。自分が自分がと際限なく自分の欲を追求するしていくならば、それをどう止めるのか。考えさせられる出来事でした。

 滋賀県を拠点とし中世から近代にかけて活動した近江商人は、「三方よし」ということを大事にしたという。三方よしとは売り手よし、買い手よし、世間よしの三つをいいます。売り手の都合だけで商いをするのではなく、買い手が心から満足し、地域社会(世間)のためにならなければならないということである。私は世間という第三者の目があって、大変すばらしいと思っていたが、「世間よし」の世間を人間であると考えたならば、やはり自分中心のエゴの域からでないのではないかと思う。今回トイレットペーパーやテッシュがなくなるといって買い占めに走った人が多くいた。また長引くかもしれないとカップラーメンや保存がきくものがお店の棚からなくなっている。不安に駆られたら何するかわからないものを抱えているのが人間なのである。親鸞聖人は人間を凡夫と示して「凡夫といふは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえず」とおっしゃっている。凡夫とは私たちのことである。一生煩悩、自分さえよければという思いから離れることのないものである。

よく調べてみると、三方よしは近江商人の経営理念を表現するために後世につくられたものであった。伊藤忠商事の初代伊藤忠兵衛は「商売は菩薩の業(行)、商売道の尊さは、売り買い何れをも益し、世の不足をうずめ、御仏の心にかなうもの」とおっしゃっています。本来三方よしの世間よしは「御仏の心にかなうもの」、人間中心に物事を見ていくのではなく、仏さまから見た自分をみつめていく。浄土真宗の生活信条では「み仏の光をあおぎ 常にわが身をかえりみて 感謝のうちに励みます」とあります。おれがおれがとある自分の利益中心の私に鏡となって私自身の心の有り様をみつめさせてくれる。ほとけさまの鏡を大切にしていきたいと思います。

3月法話「弟子えらび」

「弟子選び」

西光寺 吉弘一秀

 とある昔話をひとつ

 あるお寺の住職が、弟子の中から後継者を選ぼうとして、部屋に弟子たちを呼びました。
「これからお前たちの中からわしの後継ぎを選びたいと思う。お前たちはこれから3日後までに村長に預けている幾らかの経典を誰にも見つからぬように持ち帰るのじゃ。それができたものを後継者とする。」
言われた弟子たちは
「え??なんでそんなことを言うんだろう。でも師匠の言われることだしなぁ」
と弟子たちは不思議に思ったけれども、後継者となるため夜になると村長の家へ出かけて行ったのです。そして3日後・・・
「師匠、仰せの通りに皆それぞれが、誰にみつからぬように経典を持ってまいりました・・・が・・・」
「が?」
「ただひとり、珍念だけが持ってきていません」
「珍念、なぜ何も持ち帰らなかったのだ」
「師匠の言いつけに従ったからです」
「それはどういう意味かね。私は経典を持ち帰るようにと伝えたはずだが」
「はい、そのように仰せでした。しかし、師匠は誰にも見つからぬようにと言われました。私も家に忍び込みました。家の者はぐっすりと眠っております。いざ、経典に手をかけた時に誰かが見ていることに気が付いたのです。ですから私は持ち帰ることは出来ませんでした。」
「おかしいではないか。家の者は寝ていたのであろう」
「はい。」
「では誰が見ていたのかね。」
「私です。私が見ていたのです。ですから何も持ち帰らなかったのです」
「よろしい。そなたを後継者とする。人は自分を見ることはなかなかできぬ。人に厳しくはできるけれども、自らの行いを確認することはそうは出来ない。自らを問う。これぞ仏法じゃ。皆の者、珍念を支えるのじゃぞ」
と、後継者選びがおわったそうな。

 さて、様々な仏像を拝見すると目がぱっちり開かれるのではなく、半分だけ開いています。これは、仏さまの眼は半分は外を向き、半分は自己の内側を見ているとされているためです。仏法は自らを問う事が大切なのです。
 親鸞聖人は「自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかたつねに没し、つねに流転して、出離の縁あることなし」と、自らを厳しく見られました。そして、怒り、そねみ、妬みなど、様々な煩悩を抱き、さとりの糧となるものは自らには何もないものこそ、すくいたい仏がおられる、「かの阿弥陀仏の四十八願は衆生を摂受して、疑なく慮りなくかの願力に乗じて、さだめて往生を得」それが阿弥陀如来である。その阿弥陀如来の呼び声が、南無阿弥陀仏の念仏です。なかなか理屈ではわかりにくい部分かもしれませんが
  われとなえ われ聞くなれど 南無阿弥陀 かならずすくうの 弥陀のよび声.
  よくよく自らをみればはずかしいことばかり、それを見捨てぬ阿弥陀如来の大慈悲に頭を下げても下げきれません ただ聞くばかり

2月法話「友人の十三回忌におもう」

「友人の十三回忌におもう」 

法光寺 隆康浩

 今年友人の十三回忌を迎えます。

 彼は高校の同級生で、大学もサークルも一緒、社会人になってからも交流が続き、よく一緒に趣味のスポーツ観戦に行きました。互いの結婚披露宴では友人代表でスピーチし合いましたし、家庭を持ってからも家族ぐるみの付き合いがありました。
 親友でした。

 しかし彼は学生時代に病気を発症。その病気が次第に重い症状へと変遷し、残念ながら四十歳で亡くなりました。

 幾度となく入退院を繰り返しましたが、私もその時々彼が入院していた病院に見舞いに行っては、他愛もないことから真剣な相談まで色々な話を交わしました。
 何十回行ったかわかりませんが、その中でいつも行き着く話題が二つありました。

 一つは、「食べたいな」という話題。
 彼は食べることが好きな人でしたが、内科の病気だったため食事に制限があり、特に闘病生活後半は殆ど流動食や点滴で栄養摂取していました。
 「またあの店に行きたい」「皆と賑やかに食事したい」「お腹いっぱい好きなものを食べたい」とよく話していましたが、それを許すような病状ではありませんでした。

 もう一つは、「家に帰りたいな」という話題。
 「病院に一人でいると何もやる気が起きない。でも家に帰ると何でも頑張ろう!!って気持ちになるんだ。娘にも会いたいし家族でゆっくり過ごしたい」とよく言っていました。

 当時彼には幼稚園の一人娘さんがいて、家族でディズニーランドに行きたいとねだられていたそうです。
 なかなか実現できませんでしたが、ようやく季候も良くなった五月に、一泊二日の外泊許可をもらい、家族でディズニーランドとディズニーシーに出かけていきました。

 その頃彼はもう自力では歩けず、家族に車椅子を押してもらってやっと行ったのですが、帰ってきてすぐ連絡がありました。
 「行って良かった!楽しかった!娘も喜んでくれた!」「病気になってから思った所にもなかなか連れて行ってやれなかったけど、これで一つは娘の希望を叶えてあげられたかな」。久しぶりに彼の声がはずんでいました。

 ただ何とか動けたのもその頃まででした。
 それから目に見えて体力が徐々に落ちていき、会話も次第にままならなくなってきて、そしてついに七月半ばに亡くなりました。

 亡くなってからすぐに、ご家族は彼を家に連れて帰りました。ずっと「家に帰りたい」と言っていましたので。
 そしてその晩、彼の奥様からメールが届きました。短い一文でした。

 「今日は久しぶりに家族三人、川の字になって寝ることができました」

 涙が出ました。
 「良かったね。大変だったけど、やっと家に帰れたね。やっと家族一緒になれたね」
 そしてハッとさせられました。

 その当時私も子どもが一人いて、毎日家族三人川の字になって寝ていたのですが、それが正直「嬉しい」とか「良かった」とか素直には思えませんでした。子育ては大変とか、一人になりたいとか、愚痴がこぼれるばかりで。
 でも、そうじゃないんだなと気づかされる言葉でした。

 食事をすること、飲み物を飲むこと、家にいること、出かけること、家族一緒に過ごすこと。当たり前のようなことですが、少なくとも彼と彼の家族にとって、当たり前ではないかけがえのないひとときだったはずです。

 「当たり前のようなことも当たり前と思わずに、しっかり見つめて生きていこうね」
 そう気づかされる思いがしました。

 変わり続けて留まることがない、いつどのような変化が訪れるかわからない、そして限りのある時間を、全てのものは歩んでいます。彼もそう、私もそう、みんなそうです。
 その中で、変化し続けて限りのあるこの人生だからこそ、かけがえのないひとときひとときを、何気ないひとつひとつを大切に見つめさせていただくのではないでしょうか。

 目の前にいなくとも、すがた形は見えなくなっても、十二年経った今もずっと変わらず彼は仏様となってくださって、私を包んでくれています。心の中にいてくれています。
 十三回忌を迎える今年も、あらためて彼のことを思い返すと同時に、彼を通して私自身がいのち見つめさせていただくご縁をいただくばかりと、味あわせていただくことであります。

1月法話「道徳念仏申さるべし」

道徳念仏申さるべし

常圓寺 井上敬信

平成30年12月30日に父が往生しました。「今年年賀状をどうしようか」と思いました。浄土真宗では阿弥陀様のお浄土に生れさせていただいたのだから、悲しいことではない、喪中は気にしないということで、身内が亡くなられても年賀状を出される人もいます。2年前は平成30年8月に私の祖母も亡くなりましたので、「祖母が亡くなって、年賀状を出してもいいけど、出す気にならない。その旨を伝えて失礼しよう」と思い、年賀状を出しませんでした。

一周忌を控えた12月上旬、「喪中って期間はどう考えたらいいのだろう?」と考えました。昔神田正輝さんのお母さんが亡くなられて「一日で喪中が終った」といっていたから、年をまたいだから終わったと考えていいのか。葬儀は1月10日にしたから、今年も喪中になるのか等々考えまして、年賀とは年が改まった挨拶をすることだから、気にしないで年賀状を出すことにしました。

今回調べてみて、喪ということ忌ということは言葉の定義が違うことを知りました。喪とは漢字辞典には死者を悼み葬る儀礼。またその儀礼の期間。葬式。葬礼。また哭(声をあげて泣く)と兦(かくれる)から構成される。亡くなった人を偲び悲しみの中にいることです。忌はキ、いむ、いまわしいと読み、いむには①憎む、②嫌う、縁起が悪いものとして避ける等の意味があり、忌には死の穢れが身についているので他のものに移らないようにさけるとあります。喪中による年賀欠礼は忌の意味で使われており、亡くなられた方をかかえる人が穢れを抱えているから新年の挨拶はすべきではないということなのだと思います。

喪の意味で父や祖母が亡くなったことを悲しむということは当たり前ですが、忌の意味、穢れ、死ぬということを忌まわしく思うということは浄土真宗の教義と反します。何故な生きているものは必ず死ぬからです。亡くなった方は先立っていかれただけで、私たちも同じように後に続くからです。死を目隠しするために穢れとして忌み嫌うのは、死なないならまだしも、必ず死ぬのですから、おかしなことだと思います。

年賀とは年の改まったことを祝うことです。本願寺の八代目の蓮如上人は年の初めに、勧修寺村の道徳に次のように仰せになられました。

道徳はいくつになるぞ 道徳念仏申さるべし

昔はお正月に一歳年を重ねました。一つ年を重ねるにあたり、改めてお念仏を称えなさいと勧められたのです。私の父はガンの末期でしたが亡くなる直前まで元気でしたので、まさか亡くなるなんて思っておりませんでした。ですから昨年は寂しい正月を迎えました。新年を無事に祝えることがなんと有難いことかと昨年は感じました。ですがそれでも阿弥陀様は悲しみの中に共にいてくださる。お念仏は阿弥陀様が「あなたのそばにわたしはいるよ、安心しなさい」というお喚び声であります。

今年もお念仏とともに、阿弥陀様とともに歩んでいきたいと思います。

12月法話「私を包むもの」

「私を包むもの」

大願寺 横田裕晃

 2019(令和元)年も残すところ一か月となりました。年末は何かと忙しい日々が続きますが、心は亡くさないように過ごしたいものです。

さて、来年はいよいよオリンピックの年です。私もチケットを申し込みましたが、一つも当たりませんでした。日頃の行いが悪いのか・・・ただ単に縁がなかったのか・・・二次抽選に申し込みましたが、さてどうなるでしょうか。

オリンピックを見ておりますと、金メダルを取った選手にインタービューが行われますが、選手たちは「皆さんのおかげでメダルを取ることができました」と答えます。私だったら、「私が一生懸命練習しましたからね」などと言うかもしれませんが、ほとんどの選手は周りへの感謝の言葉を口にします。

小学生の頃、夏休みに福井県の母の実家に遊びに行っておりました。母の実家は農家ですので、田んぼや畑に手伝いに行っておりました。収穫時期になるとお米やお野菜を送ってきてくれたものです。小さい頃はただ単においしくいただいておりましたが、大人になるにつれてこのお米をスーパーで買ったらいくらぐらいするかなと考えるようになりました。何かもらい物をしたときは、必ずいくらぐらいするだろうと考えてしまいます。お歳暮もそうです。いくらぐらいかなとすぐに考えます。

祖母に御礼の電話をしたのですが、私が「美味しかったよ」というと、祖母は、「今年は天気が良くて、おてんと様のおかげや」と言いました。「ばあちゃんが頑張ってそだてたから」とか、「肥料を沢山あげたからから」というのではないのです。太陽が照って下さったから、雨が降って下さったから、大地が育んで下さったから美味しいお米が出来たというのです。

 同じお米を目の前にしていながら、私と祖母では、見ている世界が全然違うのです。私が見ているのは「これなんぼやろ」という「お金の世界」、それに対して祖母は、いろいろのものに支えられて、お天道様や大地のおかげでという「おかげの世界」を見ているのです。同じ物を見ていても、全然違う世界を生きているということがあるのです。

 私は祖母から「おかげさまの世界」を教えていただいたのですが、同時に、普段おかげさまなんて感じていなかった私の姿も教えていただいたのです。おかげさまに気づくということは、おかげさまと思えていない自分の姿に気づくことなのです。

 「おかげさま」という言葉は、目にみえないかげなるはたらき、それを「かげ」といい、その上と下に「お」と「さま」をつけて「おかげさま」と押しいただいていくのが「おかげさま」です。その目に見えないかげなるはたらきと言うのは、何もいいことばかりではないのです。いいこと悪いこと一切を含めて、目に見えないかげなるはたらきなのです。

 それを親鸞聖人は「自然法爾(じねんほうに)」(自然の理)と示されます。「自は阿弥陀如来おのずから、然はしからしめる。おのずからしからしめるままに、一切はそうなるべくしてそうなった、それが自然です。法のままにしからしめるのが法爾です。「欲も多くいかりはらだちそねみねたむ心多くひまなくして臨終の一念に至るまでとどまらず、消えず、たえず」な私をそのまま認めて下さるのが阿弥陀如来なのです。

阿弥陀如来の本願の法は、「私が」という自我の思いを翻して、法にすべてをまかせたら、法のもつ自然のはたらきで摂め取られるです。私は今、大いなるかげなるはたらき、私を私たらしめる不可思議なるはたらき、阿弥陀如来に包まれ摂め取られていると感じずにはおれません。