浄土真宗千葉組

千葉県にある浄土真宗本願寺派(お西)の活動を紹介しています。

法話

7月法話

照光寺 脇本正範

余命宣告を受け闘病なさっておられたご門徒さんのご遺言があり、最後の一年間の様子をご法話にしてほしいという思いを引き継ぎましたので掲載します。

 全人的苦痛とは
 1.身体的苦痛
 2.心理的苦痛
 3.社会的苦痛
 4.スピリチュアルペイン
 1~4までの苦痛を緩和することを全人的苦痛といいます。
 お寺やお坊さんの役割は4番目のスピリチュアルペインに該当するそうです。スピリチュアルペインとは人生の意味・罪の意識・苦しみの意味・死の恐怖・価値観の変化・死生観に対する悩みに関するこころの痛みのことです。

今から3年前にそのご門徒さんに出会いました。火葬している時に余命宣告を受けて治らない状態だったことを知りました。終末期の緩和ケア病棟に通院するようになったのが1年前のことです。

 ご門徒さんは余命宣告を受けたときに死を受け入れることができずに不安や鬱状態に陥り激しい怖れと怒りのなか自死をしてしまいそうな状態まで追い詰められてしまったそうです。
 「このままだと死んでしまいそうだ」とお医者さまに助けを求め心療内科で心理的苦痛に関する痛みを緩和することになりました。
 同時に現役の銀行マンでしたから社会的な苦痛(仕事上の問題や家庭・経済的な問題)も生じていたとのことでした。
 抗がん剤の治療を続ける中でもご門徒さんが求めたものがもう一つあります。それが4番のスピリチュアルペインをどのように解決するかということでした。人生の意味や死生観、苦しみの意味を緩和するためにあらゆるお寺をインターネットで調べ上げて通うことができる浄土真宗のお寺を探し続けたそうです。

当時わたしはお寺のご法座で『浄土真宗の教えでは死が単純な終わりであるとは考えません。救済活動の主体(仏・如来)として新しいいのちの出発をする瞬間を往生といいます。また、浄土(真実・さとりそのもの)に生まれる(往相)と同時に残された者のところまで姿かたちを南無阿弥陀仏と転ぜられて還ってきます(還相)。
 それ故に亡き方々は「いつでもどこでもいっしょの仏様」と味わうことができるのです。また臨終を迎えるまでの間、日常生活で称える南無阿弥陀仏は仏になることが決まった証拠ですから「死後の心配」をする必要はありません。皆様お一人お一人が臨終を迎えたら往生即成仏。いつでもどこでもいっしょの仏様となって残された者の「いのち」に宿りその「いのち」に同化して私たちの人生をいつでもいっしょに歩み続けてくださいます』というご法話をしていました。
 死を目前にして「そうか。新しいいのちの出発をすることができるのだ」という思いを抱かれたご門徒さんのこころに真の安らぎが生み出されたに違いありません。
人生の意味や苦しみの意味が問われ自分で自分のことを救うことができそうにないときに「いのち」のよりどころとなるものを持つということは闘病する本人と見守るご家族の生活の質を向上させるためにも必要なことであると同時にお念仏のおいわれを聞き、南無阿弥陀仏と称えつつ過ごすということは「死が不安に満ちた闇黒の世界」ではなく「光に満ちた真実の安らぎの開けである」と転ぜられていくと味わうことができます。

限られた時間の中で南無阿弥陀仏と称えることのできるよろこびを噛み締めています。

6月法話「心」

「 心 」

浄興寺住職 渡辺恒行

 先日、出先から帰宅途中に何となく思い付きで子ども達にドーナツを買って帰った。 帰宅した私が
「ドーナツ買って帰ったよ。食べんさい。」
というと、子ども達は喜んで飛んできて
「食べたい。食べたい。」
と騒いでいる。 私が
「はい、どうぞ」
とテーブルに広げたドーナツを見て、息子は突如
「食べない!」
と怒りだした。 私が
「なして?食べんの?」
と問うと、息子は怒り心頭で
「これはドーナツじゃない!」
という。 私が
「なして?これドーナツじゃろうが?」
というと、息子は
「これはドーナツじゃない。」
と目に涙を浮かべて訴えてくる。 私が訳が分からず
「なしてかいの?」
と問うてみると、息子は
「ドーナツは丸くて真ん中に穴があいているの!」
と・・・
「だから、これはドーナツじゃない。だから食べない!」
と・・・。
 今回、私が買って帰ったドーナツはネジネジ棒状のドーナツだった。
(その時にこの会話を聞きながら娘は2つ目のドーナツに手を伸ばしていた)
私が
「ええから、食べんさい。どうせ口に入れたら形はなくなるんじゃから。」
というと息子は
「嫌だ!絶対に食べなない。」
と言い張って涙を流している。実につまらん意地である。
  また、「これ」は「こういうもの」という固定概念だ。 ただ、それを息子本人も分かっている。 自分がつまらない意地を張ってしまった為に収拾が付かず、目に前にあるドーナツを自分で食べれなくしてしまっている。 しかし、引けないのである。
 我々の「心」は我々にもどうすることも出来ない。親鸞さまが何度も自ら書写し、関東の門弟に送られた『後世物語聞書』には、当時の念 仏者の悲痛な問いが記されている。
「かかるあさましき無智にのものも念仏すれば極楽に生ずとうけたまはりて、その後ひとすぢに念仏すれども、まことしく、さもありぬべしとおもひさだめたることも候はぬをば、いかがつかまつるべき。」
(浅ましく何も知らない無智な私であっても、念仏をすれば極楽に往生できるとお聞きしましたので、それからというもの、ただ一筋に念仏を申してまいりました。しかし、私が本当に極楽往生が出来るとは、どうしても思う事ができません。私はどうしたらよいのでしょうか。)
「またあるひといはく、念仏すれば声々に無量生死の罪消えて、ひかりに照らされ、こころも柔軟になると説かれたるとかや。しかるに念仏してとしひさしくなりゆけれども、三毒煩悩もすこしも消えず、こころもいよいよわろくなる、善心日々にすすむこともなし。さるときには、仏の本願を疑ふにはあらねども、わが身のわろき心根にては、たやすく往生ほどの大事はとげがたくこそ候へ。」
(また、ある人が言いました。念仏を称えると、これまで犯してきた様々な罪が消えて、摂取の光明に照らされて、心が楽になると説かれていると聞きました。しかし、随分長い間、念仏してまいりましたが、三毒(欲望・怒り・愚かさ)の心ばかりが湧いてきて、私の心はいよいよ悪くなってきます。善い心など日々生じることもありません。
この様な事ですから、阿弥陀さまの願いを疑っているのではありませんが、私の心根の悪さを鑑みると、極楽往生など不可能だと思ってしまいます。)
 美しく綺麗な心など、私には有り得ないのであります。 我が心ながら、私には為す術がないのであります。 だから阿弥陀様さまは私の為に泣かれ、願われるのであります。
 亀井勝一郎は著書『愛の無常について』の中で
「十年ほど前、私がはじめて仏教に思いを凝らした時、入信すれば安心が得られる、心の動揺も止み、悟りが開かれる、と考えていたのもですが、親鸞に邂逅してこれは完全に破砕されました。人間として悟りを開くことなど、有り得べからざる事だというのです。」
「私は親鸞にこれを聞き、不安は不安のままに、罪の意識は罪の意識のままに、矛盾は矛盾のままに謝念が湧出してきたのであります。「私はあなたを慰めることが出来ない」親鸞はかく言っているように思われます。その言葉こそ私にとって最大の慰めとなるのです。」
 私は涙を目にいっぱい溜めて「食べない」という息子を見ながら、「アホやな~」という思いと同時に、たまらなく「愛おしい」と感じておりました。親さまである阿弥陀さまの眼差しの先には、どうしようもない私や息子、そして全ての衆生が居ると感じるのです。
                                    合  掌

5月法話

雲妙寺 大善文彦

「天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位」という大きな節目を迎えました。

天皇陛下御退位 ご苦労様でした。

皇太子殿下天皇御即位 お祝い申し上げます。

国民そろってお祝いいたします。

さて 新元号が「令和」になりました。

何でもそうですが、新しい亊や物に変わった当初は、なかなか馴染みません。

しかし、次第に目に馴染み、手に馴染んで、いつしか違和感は薄れて来ます。

「令和」も耳に入り 口にし 読み書きをするうちに、自然と馴染んでくることでしょう。

私は「昭和」という時代に生まれました。

年齢を重ねるにつれて、姿や形 口にするものや思うことが、随分と変化してきました。

幼い頃は、苦い味の「ふきのとう」等は「ぺっ ぺっ」と吐き出していました。

それが「平成」に変わる頃には、コーヒーが飲めるようになり、「ふきのとう」が美味しく感じるようになり、ついには「アルコールの苦さ」までも「美味しい」と喉を通るようになりました。

そのように 私とは、時間とともに、コロコロと変わります。、

その私の側の条件・状況が、どれ程変化したとても、私を目当てとしたお方が変化せず、「おまえを救う まちがわさんぞ そのまま来いよ」と呼び続け、働き続けておられます。

一般仏教では、煩悩ぼんのうを断って覚りに向かう、という宗派しゅうはが多いです、が 浄土真宗じょうどしんしゅうにおいては、煩悩ぼんのうを断つこと無く、涅槃ねはん(お覚り)に至る。 それが大きなポイントです。

不断煩悩得涅槃ふだんぼんのうそくねはん」と、宗祖しゅうそ正信偈しょうしんげにお書きです。

その理由は、私の側のデレデレだらだらを、シャッキとさせるぞ、ということではなく、阿弥陀様あみださまの側が間違い無いからです。

阿弥陀仏あみだぶつとは、私の側に どのような煩悩ぼんのうという障壁があっても、それは妨げにはならない、問題にはならない、救いづらいことにはならないよ、と 別名の「尽十方無碍光如来じんじっぽうむげこうにょらい」と働かれています。

その阿弥陀仏あみだぶつ 既に私に入り満ちて、「南無阿弥陀仏なもあみだぶつ」と声の相で現れます。

4月法話「本願のかたじけなさよ」

『本願のかたじけなさよ』

弘教寺 小林 覚城

 浄土真宗の仏様は私が南無(帰依、信順)することまで仏の側で仕上げ、既に「南無阿弥陀仏」となって下さっています。私が仏を信じることまでも仏様のお仕事なのです。浄土真宗においては信じることは私の側の問題ではないのです。

「あなたはあなたのまま、そのままで良いのです」

…阿弥陀仏がそうおっしゃっておられます。

 この言葉を頂いて、私の心は安堵の思いで満たされます。

 御法話などで時々お聞きすることがありますが、この御文は私の調べた限りではいずれの経典に表されたものか分かりませんでした。

 ならば、経文そのものというよりは阿弥陀様の御心を私達にわかりやすく解説されたお言葉と頂くべきでありましょう。

「そのままで良い」とは文字通り「そのまま」です。

「なんだ、いろいろと悩んでいたけれど、私はこのままで良いんだ。悩まなくって良かったんだ」といった受けとめ方をされませんでしたか。

 それは、阿弥陀様の御心を「そのまま」頂いた姿ではありません。

「そのままで良い」とは文字通り「悩み苦しみを抱えたままのあなたで良い」ということです。

 ずいぶんとがっかりされたかも知れません。しかし、阿弥陀様の御心を伺えば「どうであっても、今のあなたのままで良い。そんなあなたをすくうよ」となるのです。

 私は私の思いで、物事を受け止めます。都合の良いように解釈するのです。

だから阿弥陀様は私の心は否定せず、汲んで下さいながらも、決して私の心を当てにはしません。「私は阿弥陀様を信じます」という私の心をも当てにされないのです。

 なぜ阿弥陀仏は私のすくいを約束されたのか。それは私が「それほどの業をもちける身」(歎異抄)だからです。「欲望も多く、 怒りや腹立ちやそねみやねたみの心ばかりが絶え間なく起こり、まさに命が終ろうとするそのときまで止まることなく、 消えることなく、 絶えることもない」(一念多念証文)存在だからです。そんな身の事実に気付かれ、おすくいを頂かれた親鸞聖人は「たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ(すくおうと御決意下さった御本願のなんともったいないことであろうか)」(歎異抄)とおっしゃいました。「煩悩具足の凡夫」(歎異抄)…私には煩悩しかないからです。

 阿弥陀仏は私の命、人生を全てお見抜きです。苦悩に沈む我、私は「楽しい生活」だけを求め、自身の苦悩に目を背け続けています。我のすくいになど興味を持っていません。苦悩の事実に気付こうともしない我という存在こそが、勿体なくも仏をして「この者を何とかしてやらねば…」とすくいのおはたらきへと駆り立てるのです。その大きなる御心を大慈悲心と申します。

 仏様の御慈悲は、我が煩悩、我が身の事実の中にこそ味わわせて頂きましょう。

 私の日々の苦悩を見抜かれたが故に、阿弥陀仏はおはたらき下さるのです。煩悩を捨てられず、煩悩故に苦しむ私です。煩悩の中にこそ存在して下さるのが御仏です。だから仏を頂く、仏に出遇えるのは正に私の苦悩の日暮らしにおいてなのです。

 「お願いだからすくわせておくれよ」とまで阿弥陀仏はおっしゃいます。私のすくいを間違いなく定めた上で…です。この私に、阿弥陀様は何とかしてすくいを告げたいと願われます。はたらかれます。お声の限りに私を呼び続けられます。

 「悩み苦しみを抱えたあなたこそが、心配でたまらない。そのままのあなたをすくう。必ずすくう。悩み苦しみの無い浄土の仏とせしめる」が阿弥陀様の大慈悲心です。

  どうにもならない私を、何としてでもすくう阿弥陀仏。

  唯々、仏様に御礼申しましょう。南無阿弥陀仏

3月法話「阿弥陀さまのあたたかさ」

「阿弥陀さまのあたたかさ」
 純心寺 曽我弘章

 愛しいものとの別れ、怨憎の人間関係、限りない欲望、貴賤貧富。孤独感、罪悪感。そして、老い、病、死・・・・・。
 「苦しみは、どうすれば消してなくすことができるのか」という問いに、「苦しみの原因を断ち切って、善い心を保ち、善い行いをし、自らの力で頑張りなさい」と教えられても、頑張れば頑張るほど自分の思い通りにいかない結果に打ちのめされ、反対に心が萎縮していくのが私たちです。

 私たちは、自己中心に物事を見ながら幸せを求めます。しかし、自分の思いどおりにならない現実に直面しては苦悩します。自分の力を頼りに生きていくということが、いかにむずかしいかを思わずにはいられません。

 『寒さにふるえた者ほど、太陽のあたたかさを感じる。人生の悩みをくぐった者ほど、いのちの尊さを知る』という詩人ウォルト・ホイットマン氏の言葉があります。
 罪の意識が強く悩み多い者ほど、「あなたのことは、私が一番わかっています。あなたはあなたのままでよいのです。大丈夫、私が助けます」と仰せられる阿弥陀さま(阿弥陀如来)の思い、あたたかなお心に気づくようです。

 ミッキー・マウスの産みの親で世界中の子どもに夢を与えたアメリカのアニメーション映画制作者ウォールト・ディズニー氏が、『ディズニーランド』を作り上げたときに、「この世の人の心に想像力がある限り、このディズニーランドは永遠に完成することはなく成長し続ける」と語りました。あれほど手のゆき届いたテーマパーク『ディズニーランド』は永遠に未完成のままだというのです。
 この話は、「私たちは苦しみから逃れられないこと、未完成であること、それは負ではなく自然なことなのだ」と認識するたとえのような気がします。

 親鸞聖人は、「煩悩にまなこさへられて 摂取の光明みざれども 大悲ものうきことなくて つねにわが身をてらすなり(私たちは煩悩に眼がおおわれているため、救い取ってくださる阿弥陀さまのお働きの姿を見ることができませんが、阿弥陀さまは少しもおこたることなく、常に私を案じて照らしてくださっています)【高僧和讃】」と仰せられます。

 圓日成道師は、『仏さまの言葉は、「まぁゆっくりしておいで、そのままでいいんだよ」と聞こえてくる。するとその人は、元気が出てきて、「よーし」と、さらに歩みをはじめるのでしょうね』と申されます。

 未完成で生きる煩悩まみれの私ゆえに、「あなたのことは、私が一番わかっています。あなたはあなたのままでよいのです。大丈夫、私が助けます」というお心に、あたたかな光を感じます。

称名
                 

2月法話「童謡ぞうさん」

童謡「ぞうさん」

中原寺 平野俊斉

 我が家では大人が読む新聞とともに、子どもたちのために「小学生新聞」を購読しています。少しでも子どもたちに、世の中で起きていることに関心を持ってもらいたいという親心でありますが、実際には私たち夫婦のほうが熱心に読んでいることが多いです。「小学生新聞」といっても侮ることなかれ、ニュースに出てくる用語を分かりやすく解説してくれたり、子どもたちの間で流行しているものを紹介してくれたりするので、感心することも多々あります。

  先日の紙面において、童謡『ぞうさん』の歌詞について掲載されていました。冒頭の「ぞうさん、ぞうさん、お鼻が長いのね」と話しかけているのは「象以外の生き物」です。鼻が長くないものが、自分とは違って鼻の長い象の子に悪口を言っているのだそうです。それに対して象の子は、しょげたり怒ったりすることなく「そうよ、かあさんも長いのよ」と返します。自分の大好きなお母さんと同じ姿でいることに喜びを感じ、誇りをもっていることが窺えます。

  作詞した、まどみちおさんはこの歌について「ぞうがぞうとして生かされていることが、すばらしいと思っている。だからこの歌は、ぞうに生まれてうれしいぞうの歌」と述べられています。象の子の返事から、自分が自分として生まれてきたことを引き受けた姿が見て取れます。決して他のものと比べることなく、ありのままの自分をそのままに受け止めて生きる姿が、そこにはあります。  

私たちは常に他者との比較のなかに自らを置き、ときに優越感に浸り、ときに劣等感に悩まされて生きています。自らが多数派にいることに安心を感じ、他者との違いにばかりに目を向け、相手をさげすんだり、非難ばかりしているのが私たちの姿ではないでしょうか。その姿はありのままの自分を、まず自分自身が大切に思い、喜びを感じている象の子とは真逆の姿です。比較のなかに生きる人生は、他者からも、そして自らにも大切にされない人生になってしまいます。  阿弥陀さまは、私のいのちを決して比べることなく、評価することなく、さばくことなく、そのままに受け止め抱きとってくださる仏さまです。この私を見捨てることがない仏さまによって、私が私のままに認められたのです。あみださまの「決してあなたの人生を空しいものとはしない」との願いとおはたらきのなかに私のこのいのちは包まれているのです。

1月法話「新しい年」

新しい年

真栄寺副住職 馬場弘道

明けましておめでとうございます。気づけば「平成」最後の新年、皆さまいかがでしょうお過ごしでしょうか。

毎年お正月を迎えると、思い浮かぶお言葉があります。

勧修寺の道徳、明応二年正月一日に御前へ参りたるに、
蓮如上人仰せられ候、「道徳はいくつになるぞ。」

                  (蓮如上人御一代記聞書)

 明応二年(一四九三)の元日、蓮如上人が門弟の道徳さんに向かって語られたと伝えられています。弟子の道徳さんが、新年のご挨拶に蓮如上人を訪ねると、蓮如上人はいきなり、「道徳は何歳になったのだ、お念仏を申しなさい」と、お正月早々に厳しい言葉でおっしゃいました。

 新年を迎えると、私たちは当たり前のように「おめでとう、おめでとう」とお祝いの言葉を述べます。昔は誕生日ではなく新たな年を迎えて一つ年を取る習慣でした。一つ年を重ねる中に、蓮如上人は、「何が本当にめでたく、歳を重ねるということはどういうことか」を問われているのです。つまり、新年を迎へ歳を重ねるということは、いよいよ「生の意味、死の意味」をしっかり考えなければならない時期であることをさとされているのです。また、「いくつになるぞ」とのお言葉は、新年を迎え、今年もこのままの状態で続きたいと願っている私たちに、「いつまでも同じではない。だからこそ今を大切にしなければならないぞ」という問いかけでもあります。

 阿弥陀さまは今の私を、そのまま抱きとめて、決して捨てることはなく必ずお浄土へ導くと、おっしゃいました。そしてそのはたらきを、私たちのためにわかりやすく「南無阿弥陀仏」というお念仏にしてくださいました。

 新年にはご家族がそろわれることと思います。新年の挨拶に「お念仏申そうね」と、ひとことそえていただけると有り難く思います。おめでたい時、嬉しい時も、阿弥陀さまはご一緒です。新たな年の始まりをお念仏とともに迎えることは何よりも大きな喜びであります。本年もお念仏申す日暮らしを送らせていただきまましょう。           

       合掌

12月法話「揺さぶられる私です。」

揺さぶられる私です。   

本覚寺住職 小林則子

 

昨年の冬の事でした。大学受験を控えたお子さんの母親が血相変えてお墓参りに来ました。私は日頃の挨拶をしました。彼女は泡を吹く勢いでこの様な事を言いました。「息子が受験なんです。親はこれしか出来ないからこれだけに来ました。」と両手を顔の前ですり合わせる姿を見せました。私は「はー」というだけでした。すぐには意味が解らなかったのです。気になって彼女の後姿を見て居ました。手早く墓前を整えてしゃがみこんで手を合わせ、背中を丸めて祈る?おがむ?…とにかく一心不乱とはこのようなすがたを言うのかなとしばらく見つめていました。何を祈ったのか頼んだのか私には分かりません。折に触れては「加持祈祷や断食・茶絶ち等々しないのが浄土真宗ですよ」と伝えています。私の力不足を強く知らされた思いでした。

 

 私が10代の頃、お説教にいらしたお坊さんが次のようなお話をされました。「高校野球に出てくる生徒は色々な宗門校からも出てきています。それらの神さま、仏さまがみーんな願いを聞いて約束を守ってくれたらどうなるか・・・そうです。甲子園球場は大混乱で決着もつきませんね。」その日の本堂は、皆「あ!」という表情、そしてお念仏の大合唱となりました。それから半世紀も時が経ち、忘れていた事でしたが、ふと、その事が鮮明に思い出されました。

 

何かにすがりたい母親のすがたは時として私のすがたでした。一心不乱の故その時はそれしか見えないのです。もしわが子が大病に侵されていたら浄土真宗の教えを聞いているからと落ち着いていられたでしょうか。何時の時代も色々な祈祷や占いに心を揺さぶられる私たちですが、阿弥陀さまはそんな私たちをとうにお見通しです。

 

 仏さまに合格祈願や病気平癒をお願いしてしまうのは仏教の説く因果の道理からはずれています。

 

それでも目先の不安や不都合で心揺さぶられる私たちを阿弥陀さま側から大きな智慧とお慈悲のお心で願われているのです。

11月法話「人間は偉いものではない、尊いものなのです。」

人間は偉いものではない、尊いものなのです。

宗真寺前住職 石川慶子

 

 宗真寺の門前に一本のいちょうの大木があります。秋が深まるにつれ色づいて、ちょうど11月末の報恩講のころに、まるで光を放っているような黄金色に染まります。それより前から銀杏の実がしきりに落ち出し、風が吹けば地面は敷きつめたかのように銀杏だらけ、うっかり歩くこともできません。小粒の実は拾い手もなく、私たちには困りもの。毎朝ひたすら掃いて、木の根もとに積み寄せておきます。

 季節が移ると、何とその夥(おびただ)しい量の実が一斉に芽をふき、気がつけば一人前の葉をつけた10センチばかりのいちょうの木になっている。何百何千本のチビいちょうの森ができるのです。その一本一本のうちに、親木と同じ大木になっていく“生命(いのち)の力”が備わっているのでしょう。

 けれども実際には、寺の門前がいちょうの大森林に占領されるという心配はありません。ここの10センチのチビいちょうには大木に育っていく“縁”がないからです。

 

 生物学者、福岡伸一さんがこんなことを書いていました。『私たちの生命は、どんな風土のもとに誕生するか全く分からないし、誕生後どんな外敵にさらされるか分からない、病原菌やウイルス、化学物質……みな想定外の事態。それに対し“私たちの生命の側”はDNAの組み換えや積極的な変化によって、百万通り以上の抗体を準備して受けて立つ。この中のどれかが、いざという時に役立つようにと。大半の抗体は、出番のないまま終わるのだ。つまり“生命”は大過剰と思える程の準備をして誕生する。だからこそ様々な風土に適応し生き抜いていく』

 

 科学にはとんと疎(うと)い私には、門前のいちょうと福岡博士の話が、“大過剰”の一点で結びついてしまいました。ひとつの生命体の背後に、大過剰ともいえる程の生命の働きが広がっていた、という驚きと感動。

 私たちはいわば、たまたま得がたい縁を得て大きくなれたいちょうの木です。数限りない生命の形態がある中に、「人」として生まれ育ってきました。そしてこの私の生命が誕生するには、周到な、生き抜く為の準備が既になされていたのです。(ここで触れた抗体の話は、その準備のほんの一例に過ぎません)

 この“縁”の貴重さと、生命の不思議さをすっかり忘れて、私たちは、親に産んでもらい自分で生きてきた、と思ってしまうのではないでしょうか。

 

 私の外にも内にも満ちている大いなる力―――「はかり知れない無量のいのち(・・・)のはたらき」としか言いようがありません。

 「人は偉いものではありません。でも尊いものです」という安田理深師のことばにうなづくばかりです。

10月法話「「迎える我が家」  ・・・本願に惹かれて・・・」

「迎える我が家」  ・・・本願に惹かれて・・・

             稱名寺 長井正道

 

先日、20代に独身寮で一緒に暮らした同僚2名が、寺を訪ねてきてくれました。

定年を過ぎて60代後半となり、昔を懐かしむ歳になったのでしょうか。年賀状のやり取りはあったものの、お互い違う世界(業界?)を生き、もう会うことは難しいと思っていました。

37年ぶりの再会に、お互い、生きてきた軌跡を語り合いながら、なんのプラスにもならないであろう私の存在を、よくぞ忘れずにいてくれたものと、胸が熱くなりました。

 

つい先日までは、人生を何一つ楽しむことなく、子育てだけに人生を費やす親が普通でした。自宅で、年老いた親が一生を終わるとき、子供たちが枕元に集まって別れを惜しみます。その子供たちの姿に、親は、自分の一生が無駄ではなかったと実感したに違いありません。

終わっていく人の一生が、実りあるものとなるか、空しく終わるかの分岐点が、私を迎え入れている世界=帰る家の有無にあります。

 

昔話に「浦島太郎」があります。

浦島太郎は、いじめられていたカメさんを助けた結果、竜宮城に案内されます。竜宮城は、タイやヒラメの舞い踊り。バブルの真っ盛り、人間の幸せ実感タイムでした。

やがて帰路につきます。海岸でお土産の玉手箱を開けた浦島太郎は、立ち上る煙と共に

あっという間にお爺さんになりました。(ここからが仏教です)

その後、我が家を目指します。ところが、どこにも目指す我が家がありません。街並みが変わって、家族も知り合いも見当たりません。身の寄せ所を失ってしまいました。

 

身の寄せ所を失う場面をさらに拡大したのが、「姥捨て山」伝説です。村のお年寄りが山奥に置き去りにされる話ですが、実は、山奥に連れていかれる必要はないのです。町のど真ん中で、家族に囲まれて、山奥に一人取り残されるほどの孤立感を味わう話として読めると思います。

 

私もこの孤立を実感する年になってきました。昭和26年生まれで現在67歳。田舎の小寺の次男坊です。戦後の日本がまだ貧しかった頃です。着ているものは、兄のおさがり。ズボンは、誰もがおしりと膝小僧に継ぎ接ぎがされていました。特別な遊び道具もありませんので、かくれんぼ・鬼ごっこ・縄跳び・ビー玉・メンコ等が日常の遊びでした。やがて野球が流行り始めます。とは言え道具はありません。

毎日通う、子供相手の駄菓子屋さんに布製のボールが売っていました。小さな布の切れ端を何枚も縫い合わせたボールで、素手で使えます。近所の竹藪から切ってきた竹のバットを振り回しての野球ごっこでした。

そうこうしているうちに、戦後最初の高度経済成長期に入ります。池田勇人首相の「所得倍増計画」政策により、稼ぎの良い家とそれ程でもない家ができます。余裕のできた家の子は、グローブやバットを持ち始めます。私も欲しいのですが、親にはなかなか言い出せません。

父は7人兄弟、母は5人兄弟、私からすると10人の叔父叔母に囲まれて育ちました。

この叔父叔母が、毎年夏休みになると、その子供(私からすると従兄)を連れて里帰りに来ます。歩いて5分で海という立地で、海水浴に来るのです。前もって手紙を書いて送っておくと、里帰りのお土産にそれが頂けるのです。グローブ・バット・キャチャーミット・野球盤、すべて手に入れることができました。

 

私の両親が10年ほど前に亡くなりました。それに前後して、この可愛がってもらった叔父叔母も次々と亡くなりました。それぞれの家庭が世代交代し、子供の頃からの経緯は誰も知りません。子供の頃からの共通体験があり、会話が心に響き肯いてもらえる場が消えてしまったのです。

山の中に一人取り残された孤立感、そのままです。ジワッと辛いことです。この感じがよく実感できる年になりました。気兼ねなくいけた親戚が、帰るところではなくなってしまうのです。親しい人が亡くなるとは、私の帰る世界を失う事でした。

『往生要集』に出てくる「天人五衰」そのままが、「浦島太郎」や「姥捨て山」の昔話でした。

 

此処に立って、私の帰る世界・身の寄せ所が切実な問題となります。

帰る世界は、事実として、じつは私の側には何の主導権もないのです。すべて、迎え入れる側の好意であると思い知らされました。

ここから、弥陀の本願浄土が響いてきます。本願は取り込みの世界です。覚った側の思い・親から子への思いがすべてです。

 

お釈迦様の言葉に「アジャセ王のために、涅槃に入らず」があります。

父・ビンビシャラ王を殺害し、母・韋提希夫人を幽閉、クーデターによって権力を握ったアジャセ王。その後体調を崩し、心も体もボロボロになっていきます。国中の医者や占い師に見てもらうも回復しない中、部下であるギバ大臣はお釈迦様に会うことを勧めます。しかし、殺害した父、幽閉した母はお釈迦様の大の信者であり外護者です。お釈迦様に詰問・叱責されることは目に見えています。

この状況下、苦しさに耐え切れなくなったアジャセ王は、お釈迦様を訪ねます。

アジャセ王を迎え入れたお釈迦様の発した言葉が「アジャセ王の為に涅槃に入らず」でした。あなたのことが心配で、顔を見るまでは、自分にとって一番心地の良い、悟りの世界に戻る訳にはいかなかった。よく訪ねてきてくれた。

この一言でアジャセの立ち位置(迎え取られている世界)が決まり、心は翻り解き放たれていきます。後にアジャセは、「この救いの喜びを伝える為なら、地獄に落ちても後悔はない」と言い切ります。

「アジャセ王の為に、涅槃に入らず」は、本願の取り込みの世界を一言でいい切った大好きな言葉です。

 

同じ世界を表現した童謡に「かあさんの歌」があります

かあさんが夜なべをして     手袋編んでくれた  

木枯らし吹いちゃ冷たかろうと  せっせと編んだだよ         

故郷の便りが届く        囲炉裏の匂いがした

お母さんが、寒さをこらえ乍ら働く子供の姿を想像し、手袋を編み、送り届けたのです。

囲炉裏の傍で編んだ手袋と書かれた手紙の匂いにふれ、囲炉裏端に繰り広げられた子供の頃の一家団欒の光景を思い出したのです。帰ることのできる世界に触れた一瞬でした。

 

お念仏を通して告げられているアミダの思い。取り込みの思い。ここが基になって、帰る世界が成り立つのです。

初老の現実が重なる中、本願の響きに惹かれながらの日々が続きます。