浄土真宗千葉組

千葉県にある浄土真宗本願寺派(お西)の活動を紹介しています。

法話

4月法話「みほとけを鏡として」

常圓寺 井上敬信

 令和二年二月、おりからの新型コロナウイルスの影響でマスクや消毒液が手に入らない状況が続いていました。オークションサイトなどでマスクが高額で取引されるようになっていましたが、三月に法律が改定されて高額の取引が出来なくなりました。この出来事をテレビで見ていた時に「これってウインウインの関係だよな」と思いました。

 ウインウインとはウインは英語でWIN、勝利をあらわす言葉です。双方がうまくいっていること。特に、政策において両者にとって適度に都合がいいことを言います。この場合では売り手も安く手に入れたマスクがものすごく高く売れるという利益、買い手も何件もはしごしても手に入らない、またどうしても欲しいと思っているマスクが手に入る利益が一致したからこそ、この売買が成立するわけです。ですけれども転売を考える人がマスクを買い占めたり、不当に利益を得ていることを問題視して法律で規制することになったわけです。人間は自分の都合を求めてしまいます。自分が自分がと際限なく自分の欲を追求するしていくならば、それをどう止めるのか。考えさせられる出来事でした。

 滋賀県を拠点とし中世から近代にかけて活動した近江商人は、「三方よし」ということを大事にしたという。三方よしとは売り手よし、買い手よし、世間よしの三つをいいます。売り手の都合だけで商いをするのではなく、買い手が心から満足し、地域社会(世間)のためにならなければならないということである。私は世間という第三者の目があって、大変すばらしいと思っていたが、「世間よし」の世間を人間であると考えたならば、やはり自分中心のエゴの域からでないのではないかと思う。今回トイレットペーパーやテッシュがなくなるといって買い占めに走った人が多くいた。また長引くかもしれないとカップラーメンや保存がきくものがお店の棚からなくなっている。不安に駆られたら何するかわからないものを抱えているのが人間なのである。親鸞聖人は人間を凡夫と示して「凡夫といふは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえず」とおっしゃっている。凡夫とは私たちのことである。一生煩悩、自分さえよければという思いから離れることのないものである。

よく調べてみると、三方よしは近江商人の経営理念を表現するために後世につくられたものであった。伊藤忠商事の初代伊藤忠兵衛は「商売は菩薩の業(行)、商売道の尊さは、売り買い何れをも益し、世の不足をうずめ、御仏の心にかなうもの」とおっしゃっています。本来三方よしの世間よしは「御仏の心にかなうもの」、人間中心に物事を見ていくのではなく、仏さまから見た自分をみつめていく。浄土真宗の生活信条では「み仏の光をあおぎ 常にわが身をかえりみて 感謝のうちに励みます」とあります。おれがおれがとある自分の利益中心の私に鏡となって私自身の心の有り様をみつめさせてくれる。ほとけさまの鏡を大切にしていきたいと思います。

3月法話「弟子えらび」

「弟子選び」

西光寺 吉弘一秀

 とある昔話をひとつ

 あるお寺の住職が、弟子の中から後継者を選ぼうとして、部屋に弟子たちを呼びました。
「これからお前たちの中からわしの後継ぎを選びたいと思う。お前たちはこれから3日後までに村長に預けている幾らかの経典を誰にも見つからぬように持ち帰るのじゃ。それができたものを後継者とする。」
言われた弟子たちは
「え??なんでそんなことを言うんだろう。でも師匠の言われることだしなぁ」
と弟子たちは不思議に思ったけれども、後継者となるため夜になると村長の家へ出かけて行ったのです。そして3日後・・・
「師匠、仰せの通りに皆それぞれが、誰にみつからぬように経典を持ってまいりました・・・が・・・」
「が?」
「ただひとり、珍念だけが持ってきていません」
「珍念、なぜ何も持ち帰らなかったのだ」
「師匠の言いつけに従ったからです」
「それはどういう意味かね。私は経典を持ち帰るようにと伝えたはずだが」
「はい、そのように仰せでした。しかし、師匠は誰にも見つからぬようにと言われました。私も家に忍び込みました。家の者はぐっすりと眠っております。いざ、経典に手をかけた時に誰かが見ていることに気が付いたのです。ですから私は持ち帰ることは出来ませんでした。」
「おかしいではないか。家の者は寝ていたのであろう」
「はい。」
「では誰が見ていたのかね。」
「私です。私が見ていたのです。ですから何も持ち帰らなかったのです」
「よろしい。そなたを後継者とする。人は自分を見ることはなかなかできぬ。人に厳しくはできるけれども、自らの行いを確認することはそうは出来ない。自らを問う。これぞ仏法じゃ。皆の者、珍念を支えるのじゃぞ」
と、後継者選びがおわったそうな。

 さて、様々な仏像を拝見すると目がぱっちり開かれるのではなく、半分だけ開いています。これは、仏さまの眼は半分は外を向き、半分は自己の内側を見ているとされているためです。仏法は自らを問う事が大切なのです。
 親鸞聖人は「自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかたつねに没し、つねに流転して、出離の縁あることなし」と、自らを厳しく見られました。そして、怒り、そねみ、妬みなど、様々な煩悩を抱き、さとりの糧となるものは自らには何もないものこそ、すくいたい仏がおられる、「かの阿弥陀仏の四十八願は衆生を摂受して、疑なく慮りなくかの願力に乗じて、さだめて往生を得」それが阿弥陀如来である。その阿弥陀如来の呼び声が、南無阿弥陀仏の念仏です。なかなか理屈ではわかりにくい部分かもしれませんが
  われとなえ われ聞くなれど 南無阿弥陀 かならずすくうの 弥陀のよび声.
  よくよく自らをみればはずかしいことばかり、それを見捨てぬ阿弥陀如来の大慈悲に頭を下げても下げきれません ただ聞くばかり

2月法話「友人の十三回忌におもう」

「友人の十三回忌におもう」 

法光寺 隆康浩

 今年友人の十三回忌を迎えます。

 彼は高校の同級生で、大学もサークルも一緒、社会人になってからも交流が続き、よく一緒に趣味のスポーツ観戦に行きました。互いの結婚披露宴では友人代表でスピーチし合いましたし、家庭を持ってからも家族ぐるみの付き合いがありました。
 親友でした。

 しかし彼は学生時代に病気を発症。その病気が次第に重い症状へと変遷し、残念ながら四十歳で亡くなりました。

 幾度となく入退院を繰り返しましたが、私もその時々彼が入院していた病院に見舞いに行っては、他愛もないことから真剣な相談まで色々な話を交わしました。
 何十回行ったかわかりませんが、その中でいつも行き着く話題が二つありました。

 一つは、「食べたいな」という話題。
 彼は食べることが好きな人でしたが、内科の病気だったため食事に制限があり、特に闘病生活後半は殆ど流動食や点滴で栄養摂取していました。
 「またあの店に行きたい」「皆と賑やかに食事したい」「お腹いっぱい好きなものを食べたい」とよく話していましたが、それを許すような病状ではありませんでした。

 もう一つは、「家に帰りたいな」という話題。
 「病院に一人でいると何もやる気が起きない。でも家に帰ると何でも頑張ろう!!って気持ちになるんだ。娘にも会いたいし家族でゆっくり過ごしたい」とよく言っていました。

 当時彼には幼稚園の一人娘さんがいて、家族でディズニーランドに行きたいとねだられていたそうです。
 なかなか実現できませんでしたが、ようやく季候も良くなった五月に、一泊二日の外泊許可をもらい、家族でディズニーランドとディズニーシーに出かけていきました。

 その頃彼はもう自力では歩けず、家族に車椅子を押してもらってやっと行ったのですが、帰ってきてすぐ連絡がありました。
 「行って良かった!楽しかった!娘も喜んでくれた!」「病気になってから思った所にもなかなか連れて行ってやれなかったけど、これで一つは娘の希望を叶えてあげられたかな」。久しぶりに彼の声がはずんでいました。

 ただ何とか動けたのもその頃まででした。
 それから目に見えて体力が徐々に落ちていき、会話も次第にままならなくなってきて、そしてついに七月半ばに亡くなりました。

 亡くなってからすぐに、ご家族は彼を家に連れて帰りました。ずっと「家に帰りたい」と言っていましたので。
 そしてその晩、彼の奥様からメールが届きました。短い一文でした。

 「今日は久しぶりに家族三人、川の字になって寝ることができました」

 涙が出ました。
 「良かったね。大変だったけど、やっと家に帰れたね。やっと家族一緒になれたね」
 そしてハッとさせられました。

 その当時私も子どもが一人いて、毎日家族三人川の字になって寝ていたのですが、それが正直「嬉しい」とか「良かった」とか素直には思えませんでした。子育ては大変とか、一人になりたいとか、愚痴がこぼれるばかりで。
 でも、そうじゃないんだなと気づかされる言葉でした。

 食事をすること、飲み物を飲むこと、家にいること、出かけること、家族一緒に過ごすこと。当たり前のようなことですが、少なくとも彼と彼の家族にとって、当たり前ではないかけがえのないひとときだったはずです。

 「当たり前のようなことも当たり前と思わずに、しっかり見つめて生きていこうね」
 そう気づかされる思いがしました。

 変わり続けて留まることがない、いつどのような変化が訪れるかわからない、そして限りのある時間を、全てのものは歩んでいます。彼もそう、私もそう、みんなそうです。
 その中で、変化し続けて限りのあるこの人生だからこそ、かけがえのないひとときひとときを、何気ないひとつひとつを大切に見つめさせていただくのではないでしょうか。

 目の前にいなくとも、すがた形は見えなくなっても、十二年経った今もずっと変わらず彼は仏様となってくださって、私を包んでくれています。心の中にいてくれています。
 十三回忌を迎える今年も、あらためて彼のことを思い返すと同時に、彼を通して私自身がいのち見つめさせていただくご縁をいただくばかりと、味あわせていただくことであります。

1月法話「道徳念仏申さるべし」

道徳念仏申さるべし

常圓寺 井上敬信

平成30年12月30日に父が往生しました。「今年年賀状をどうしようか」と思いました。浄土真宗では阿弥陀様のお浄土に生れさせていただいたのだから、悲しいことではない、喪中は気にしないということで、身内が亡くなられても年賀状を出される人もいます。2年前は平成30年8月に私の祖母も亡くなりましたので、「祖母が亡くなって、年賀状を出してもいいけど、出す気にならない。その旨を伝えて失礼しよう」と思い、年賀状を出しませんでした。

一周忌を控えた12月上旬、「喪中って期間はどう考えたらいいのだろう?」と考えました。昔神田正輝さんのお母さんが亡くなられて「一日で喪中が終った」といっていたから、年をまたいだから終わったと考えていいのか。葬儀は1月10日にしたから、今年も喪中になるのか等々考えまして、年賀とは年が改まった挨拶をすることだから、気にしないで年賀状を出すことにしました。

今回調べてみて、喪ということ忌ということは言葉の定義が違うことを知りました。喪とは漢字辞典には死者を悼み葬る儀礼。またその儀礼の期間。葬式。葬礼。また哭(声をあげて泣く)と兦(かくれる)から構成される。亡くなった人を偲び悲しみの中にいることです。忌はキ、いむ、いまわしいと読み、いむには①憎む、②嫌う、縁起が悪いものとして避ける等の意味があり、忌には死の穢れが身についているので他のものに移らないようにさけるとあります。喪中による年賀欠礼は忌の意味で使われており、亡くなられた方をかかえる人が穢れを抱えているから新年の挨拶はすべきではないということなのだと思います。

喪の意味で父や祖母が亡くなったことを悲しむということは当たり前ですが、忌の意味、穢れ、死ぬということを忌まわしく思うということは浄土真宗の教義と反します。何故な生きているものは必ず死ぬからです。亡くなった方は先立っていかれただけで、私たちも同じように後に続くからです。死を目隠しするために穢れとして忌み嫌うのは、死なないならまだしも、必ず死ぬのですから、おかしなことだと思います。

年賀とは年の改まったことを祝うことです。本願寺の八代目の蓮如上人は年の初めに、勧修寺村の道徳に次のように仰せになられました。

道徳はいくつになるぞ 道徳念仏申さるべし

昔はお正月に一歳年を重ねました。一つ年を重ねるにあたり、改めてお念仏を称えなさいと勧められたのです。私の父はガンの末期でしたが亡くなる直前まで元気でしたので、まさか亡くなるなんて思っておりませんでした。ですから昨年は寂しい正月を迎えました。新年を無事に祝えることがなんと有難いことかと昨年は感じました。ですがそれでも阿弥陀様は悲しみの中に共にいてくださる。お念仏は阿弥陀様が「あなたのそばにわたしはいるよ、安心しなさい」というお喚び声であります。

今年もお念仏とともに、阿弥陀様とともに歩んでいきたいと思います。

12月法話「私を包むもの」

「私を包むもの」

大願寺 横田裕晃

 2019(令和元)年も残すところ一か月となりました。年末は何かと忙しい日々が続きますが、心は亡くさないように過ごしたいものです。

さて、来年はいよいよオリンピックの年です。私もチケットを申し込みましたが、一つも当たりませんでした。日頃の行いが悪いのか・・・ただ単に縁がなかったのか・・・二次抽選に申し込みましたが、さてどうなるでしょうか。

オリンピックを見ておりますと、金メダルを取った選手にインタービューが行われますが、選手たちは「皆さんのおかげでメダルを取ることができました」と答えます。私だったら、「私が一生懸命練習しましたからね」などと言うかもしれませんが、ほとんどの選手は周りへの感謝の言葉を口にします。

小学生の頃、夏休みに福井県の母の実家に遊びに行っておりました。母の実家は農家ですので、田んぼや畑に手伝いに行っておりました。収穫時期になるとお米やお野菜を送ってきてくれたものです。小さい頃はただ単においしくいただいておりましたが、大人になるにつれてこのお米をスーパーで買ったらいくらぐらいするかなと考えるようになりました。何かもらい物をしたときは、必ずいくらぐらいするだろうと考えてしまいます。お歳暮もそうです。いくらぐらいかなとすぐに考えます。

祖母に御礼の電話をしたのですが、私が「美味しかったよ」というと、祖母は、「今年は天気が良くて、おてんと様のおかげや」と言いました。「ばあちゃんが頑張ってそだてたから」とか、「肥料を沢山あげたからから」というのではないのです。太陽が照って下さったから、雨が降って下さったから、大地が育んで下さったから美味しいお米が出来たというのです。

 同じお米を目の前にしていながら、私と祖母では、見ている世界が全然違うのです。私が見ているのは「これなんぼやろ」という「お金の世界」、それに対して祖母は、いろいろのものに支えられて、お天道様や大地のおかげでという「おかげの世界」を見ているのです。同じ物を見ていても、全然違う世界を生きているということがあるのです。

 私は祖母から「おかげさまの世界」を教えていただいたのですが、同時に、普段おかげさまなんて感じていなかった私の姿も教えていただいたのです。おかげさまに気づくということは、おかげさまと思えていない自分の姿に気づくことなのです。

 「おかげさま」という言葉は、目にみえないかげなるはたらき、それを「かげ」といい、その上と下に「お」と「さま」をつけて「おかげさま」と押しいただいていくのが「おかげさま」です。その目に見えないかげなるはたらきと言うのは、何もいいことばかりではないのです。いいこと悪いこと一切を含めて、目に見えないかげなるはたらきなのです。

 それを親鸞聖人は「自然法爾(じねんほうに)」(自然の理)と示されます。「自は阿弥陀如来おのずから、然はしからしめる。おのずからしからしめるままに、一切はそうなるべくしてそうなった、それが自然です。法のままにしからしめるのが法爾です。「欲も多くいかりはらだちそねみねたむ心多くひまなくして臨終の一念に至るまでとどまらず、消えず、たえず」な私をそのまま認めて下さるのが阿弥陀如来なのです。

阿弥陀如来の本願の法は、「私が」という自我の思いを翻して、法にすべてをまかせたら、法のもつ自然のはたらきで摂め取られるです。私は今、大いなるかげなるはたらき、私を私たらしめる不可思議なるはたらき、阿弥陀如来に包まれ摂め取られていると感じずにはおれません。

11月法話「修験道から念仏へ」

天真寺 西原龍哉

 今年は、新天皇陛下が御即位なされる即位礼正殿の儀が執り行われ、「平成」から「令和」へと年号が変わり、新しい時代の幕開けであります。
 小学生の時、当時の官房長官が新元号「平成」の二文字を掲げた瞬間を鮮明に覚えています。それから32年。中身はあの頃と変わらない気もしますが、やはり年相応の外見には「諸行無常」の時の流れを感じます。
 現在の元号は、明治に「一世一元制」が採用され、天皇一代に使用する元号は一つです。しかし、親鸞聖人の時代は、大地震や火災など天変地異、疫病の流行などが発生すると、元号が変わっていました。聖人90年の生涯は、36回元号が変わる程の激動の時代でした。聖人の伯父日野宗業は高名な儒学者で、朝廷の文章博士として、鎌倉時代「建仁」「建保)」という二つの元号を提案されています。その建仁元年は、親鸞聖人にとって忘れがたい年です。『教行信証』後序に、「しかるに愚禿釈の鸞、建仁辛の酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す」と示されます。この時聖人29歳、これまで自らの計らいによって悟りを開く仏道「雑行」から、「我にまかせよ、必ず救う」と南無阿弥陀仏の呼び声となってはたらいてくださる阿弥陀如来の「本願」に帰依をされる仏道を歩まれる決意をしたのです。
 昨年は、多くの災害に見舞われ、無力な私たち人間の姿が映し出されました。親鸞聖人が在関東の頃、活躍していたのが修験者の山伏弁円です。修験道では、呪術によって災害を除き、来福を祈祷します。弁円は念仏の教えが弘まると、聖人に敵愾心を抱き、殺害計画を立てました。しかし、実際に会って話をすると、瞬く間にその教えに帰依し、弓矢・刀・頭巾と山伏姿を投げ放って、仏弟子となられました。 念仏の世界は、苦悩を取り除く道ではありません。その苦悩の中から教えられ、育てられ、目覚めさせられる世界です。煩悩具足の私を、そのまま抱き取って下さるのが阿弥陀如来のお慈悲であり、一人じゃないぞ、ともに乗り越えようと「南無阿弥陀仏」のよび声となってくださる仏さまと歩む道です。苦悩は変わらずとも、受け取る私が転じられていくのです。先人は、そのお心を「渋柿の渋がそのまま甘さかな」と詠まれました。煩悩具足の私だからこそ、念仏申す身へと育てられるのです。時代は変わっても、常に我身を照らしてくださる阿弥陀如来のお慈悲の心は変わらないのです。

10月法話「阿弥陀さまの用(はたら)きは、私のうえに現れる」

「阿弥陀さまの用(はたら)きは、私のうえに現れる」

西方寺 西原大地

先日、地元の学習塾の前を通りすがった際に「県立〇〇高校 合格者〇〇名」と大きく張り出された掲示を目にいたしました。

塾の生徒が有名高校に合格するという姿を通して、その事柄を実現させるだけの指導力がその塾にはある、ということを主張しているのでしょう。

この張り紙を見て懐かしく思い出されたのが、自宅のポストによく投函されていた、子ども向けの通信教育の案内です。

通信教育の案内と言っても、小学校3年生くらいの男の子が通信教育を始めたことをきっかけとして、今まで苦手だった科目を克服し友人にも恵まれ、成長していく姿が描かれた漫画の冊子です。

「県立〇〇高校 合格者〇〇名」ほど直接的ではありませんが、男の子の成長を通じて通信教育の魅力・教材の力を伝えているのでしょう。

この様に、物事が変化する姿を通して、その様に変化させた力を私たちは感じることがあります。

その力のことを「はたらき」と言い、浄土真宗のご法話の中でも度々耳にする大切な言葉です。

親鸞聖人は主著『教行信証』の中で、全ての者を救わんとはたらく阿弥陀如来という仏さまを「磁石」に譬えています。

私たちは磁石が放つ磁力を目で直接見ることは出来ませんが、磁力に引きつけられる物質の姿を通して「磁力」という力(はたらき)を知ることができます。

この喩えからも分かるように、阿弥陀如来という仏さまは、目で見て手で触れて確認できるような仏さまではないということです。

この仏さまは私の外側にいらっしゃる仏さまではありません。

「県立〇〇高校 合格者〇〇名」「小学校3年生くらいの男の子が通信教育を通して成長する」という姿がそのまま、「塾の指導力」「教材の力」を示すように、この命の行く末に対する不安が晴れる私の心の有様、そして合わさる事の無かったこの私の手が合わさり、下ることの無かったこの頭が下がる姿がそのまま、阿弥陀如来という仏さまのはたらいている証拠なのです。

9月法話「願いを頂く時」

「願いを頂く時」

無量寺金山龍成

 みなさんはコンプレックスをお持ちですか?私は首にあるアザがコンプレックスでした。でした…と言うのもある出来事がきっかけでそうではなくなったからです。それは、小学生。ちょうど思春期の頃です。私はなぜ自分にだけアザがあるのかを思い悩んでいました。しかし、いくら悩んでもアザは消えることはありません。そんなある日のこと、私は母に思い切ってたずねました。「お母さんこの首のアザはなんであるの?」と。母は私の頭を優しくなでながら言いました。「それはあなたが生まれた時のアザよ。大丈夫…大丈夫よ」と。私を気遣っている母の気持ちとは裏腹に私は自分の思いが伝わっていないと心の中で苛いら立だっていました。そして、私は母に怒鳴り散らしました。「大丈夫じゃない!お母さんは、僕がどんなに悩んでいるかも知らないくせに。そもそも、お母さんがこんな風に産んだのだろ!」…と。母は私を抱きしめゆっくりと真剣に語りだしました。「あなたをお腹に授かった時お母さんは早くあなたに会いたい、命にかけても守らなきゃ。と思ったの。けれどお腹の中にいたあなたは、逆さまでへその緒が首に絡まっていたの。無事に産めるかわからなかったの。だから、水泳をしたり体操をしたりとあなたのためになると教えられたことは、すべてしたの。そして、最後はお医者さんの手を借りて、ようやく無事にあなたを授かることが出来たの。その生まれる時にアザがついたの。あなたにとっては、とてもつらいアザでしょうがお母さんにとってはあなたが無事にこの世にいのちを授かってくれた大切な証あかしなのよ。でも、あなたが苦しい思いをしていたことに気づけずにいて…ごめんね」と。

 母が、私のいのちに対してどのような願いを持っていたのかに気づかされた時、このアザの持つ意味が私の中で変わっていきました。それまで、アザは邪魔なものでしかありませんでした。しかし、母の願いを聞いてからは、大切な宝物になりました。アザがあるという事実は変わりませんが、そこには自分の力では到底見いだせない、大きな意味が与えられていました。

 「南無阿弥陀仏」の声には阿弥陀さまの大きな願いが込められています。「あなたのいのち決してむなしく終わらせることはしません。この私阿弥陀が必ず浄土に生まれさせ仏と仕上げます。」と。その願いを頂く時「間違いなく浄土に生まれる身なのですね。仏と成らさせていただくいのちなのですね」と味わせていただきます。生まれて来たこと、死んでいくことに何の意味も見いだせなかった人生に大きな意味を与えて下さいます。生きていく中で思いがけず様々な苦しみや悲しみに出会いますが、阿弥陀さまの願いを聞かせていただく時、それら全ての出来事に深い意味が与えられます。

8月法話

自力と他力

龍昌寺 石塚龍悠

8月になりプロ野球シーズンもそろそろ終盤戦に入ります。

今季のヤクルト・スワローズはセ・リーグワーストタイ記録となる16連敗を喫しました。連敗中、監督は自宅近くにある神社に参拝し家に戻ると今度は仏壇に線香を供えたそうです。でもチームは勝てない。監督は「両方にお願いしたのがまずかったのかな」と力のない冗談。

スポーツ選手には験を担ぐ方も多いそうですが、このときは藁をもつかむ気持ちだったのでしょう。困ったときに神仏にお祈りするというのはよく聞くことですが、それで試合に勝てるなら明治神宮野球場を本拠地とするヤクルトが1番強そうです。

この時期の野球放送には「自力優勝の可能性が消滅」というワードが出てきます。

規定の試合数を消化していき残り試合もわずかになると、あと何回負けると1位のチームに届かないのか計算できてしまうので、ひとつの勝敗の影響が大きく、そのたびに一喜一憂してしまうわけです。

自チームの優勝があやしくなると、今度は他のチームが負けて順位が落ちてくるしか優勝の可能性が残されていない、成り行きまかせの状態におちいります。

その際に使われるのが「他力本願」という言葉。ですがこれは誤用が定着して一般化してしまった、本来の意味とは異なる使われ方です。

私が龍谷大学の学生だった頃、ゼミの教授が「他力本願という言葉はあるが、自力本願という言葉ない」とおっしゃっていました。

「他力」というのは阿弥陀さまのはたらきのちから、「本願」というのは仏さまが誓われた約束のことです。自らの修行をもって悟りを得ようとする場合は単に「自力」といいます。

自力と他力の関係をあらわすインドのたとえ話に、猿の道と猫の道というものがあります。

猿の子供は母親(仏)にしがみついて(自力)運んでもらいますが、猫の子供(私たち)は

母親(仏)に首をくわえてもらって(他力)運んでもらいます。

しがみつくには手や足にちからを籠めて、離されまいと努力する必要がありますが、くわえてもらえば、ちからの弱い子供でも安心です。

親鸞聖人は『教行信証』に「他力といふは如来の本願力なり」【注釈版聖典第二版190頁】とお書きになられています。

阿弥陀さまが仏となられる前、法蔵菩薩であられたとき、私たちを救うために48の願い事・約束事をされました。他力本願というのは、この阿弥陀さま(他)の誓われた願いのちから(本願力)によって、間違いなく浄土に往生できることです。

応援している広島カープが、連敗続きでモヤモヤする。阿弥陀さまは、そんな煩悩をぬぐいきれない我が身をも救ってくださる。そのお慈悲に感謝をしつつ、日々のお念仏を申していきたいと思います。 

                              南無阿弥陀仏

7月法話

照光寺 脇本正範

余命宣告を受け闘病なさっておられたご門徒さんのご遺言があり、最後の一年間の様子をご法話にしてほしいという思いを引き継ぎましたので掲載します。

 全人的苦痛とは
 1.身体的苦痛
 2.心理的苦痛
 3.社会的苦痛
 4.スピリチュアルペイン
 1~4までの苦痛を緩和することを全人的苦痛といいます。
 お寺やお坊さんの役割は4番目のスピリチュアルペインに該当するそうです。スピリチュアルペインとは人生の意味・罪の意識・苦しみの意味・死の恐怖・価値観の変化・死生観に対する悩みに関するこころの痛みのことです。

今から3年前にそのご門徒さんに出会いました。火葬している時に余命宣告を受けて治らない状態だったことを知りました。終末期の緩和ケア病棟に通院するようになったのが1年前のことです。

 ご門徒さんは余命宣告を受けたときに死を受け入れることができずに不安や鬱状態に陥り激しい怖れと怒りのなか自死をしてしまいそうな状態まで追い詰められてしまったそうです。
 「このままだと死んでしまいそうだ」とお医者さまに助けを求め心療内科で心理的苦痛に関する痛みを緩和することになりました。
 同時に現役の銀行マンでしたから社会的な苦痛(仕事上の問題や家庭・経済的な問題)も生じていたとのことでした。
 抗がん剤の治療を続ける中でもご門徒さんが求めたものがもう一つあります。それが4番のスピリチュアルペインをどのように解決するかということでした。人生の意味や死生観、苦しみの意味を緩和するためにあらゆるお寺をインターネットで調べ上げて通うことができる浄土真宗のお寺を探し続けたそうです。

当時わたしはお寺のご法座で『浄土真宗の教えでは死が単純な終わりであるとは考えません。救済活動の主体(仏・如来)として新しいいのちの出発をする瞬間を往生といいます。また、浄土(真実・さとりそのもの)に生まれる(往相)と同時に残された者のところまで姿かたちを南無阿弥陀仏と転ぜられて還ってきます(還相)。
 それ故に亡き方々は「いつでもどこでもいっしょの仏様」と味わうことができるのです。また臨終を迎えるまでの間、日常生活で称える南無阿弥陀仏は仏になることが決まった証拠ですから「死後の心配」をする必要はありません。皆様お一人お一人が臨終を迎えたら往生即成仏。いつでもどこでもいっしょの仏様となって残された者の「いのち」に宿りその「いのち」に同化して私たちの人生をいつでもいっしょに歩み続けてくださいます』というご法話をしていました。
 死を目前にして「そうか。新しいいのちの出発をすることができるのだ」という思いを抱かれたご門徒さんのこころに真の安らぎが生み出されたに違いありません。
人生の意味や苦しみの意味が問われ自分で自分のことを救うことができそうにないときに「いのち」のよりどころとなるものを持つということは闘病する本人と見守るご家族の生活の質を向上させるためにも必要なことであると同時にお念仏のおいわれを聞き、南無阿弥陀仏と称えつつ過ごすということは「死が不安に満ちた闇黒の世界」ではなく「光に満ちた真実の安らぎの開けである」と転ぜられていくと味わうことができます。

限られた時間の中で南無阿弥陀仏と称えることのできるよろこびを噛み締めています。