12月法話「お慈悲のなかで「おかげさま」を思い知る」
天真寺 名種木乃実
私が通っていた保育園に人気の滑り台がありました。それは筒形になっていて、長さは短いものでしたが、トンネルを抜けるような感覚が気持ちよく、滑っては又並び、滑っては又並ぶ・・と、飽きもせずみんなで繰り返していました。
ところがある時、どういうわけかトンネル内で大渋滞になってしまいました。私はちょうど真ん中あたりで、前は詰まっている、後ろからもどんどん詰まってくる・・・と、身動きがとれなくなりました。ほんの数分たったか経たないかの事だったと思いますが、その状態に耐え切れなくなった私は少々パニック状態のようになって、前の男の子の背中を足でイヤイヤするように蹴ってしまったのです。とたんに前の男の子が泣き出して、それにつられて他の子も泣き出し、トンネル内が大騒ぎになってしまいました。気が付いた先生がすぐに前から救出してくださり、間もなく全員無事にトンネルから抜けることができたのですが・・・。
その頃の私は、母が仕事を終えて迎えに来るまで、隣接していた園長先生が住職を勤めるお寺の庫裏(住職の居住空間)で待たせてもらっていました。折り紙やあやとり、時にはお念珠作りなど、今から思うと私が退屈しないようにと、園長先生と坊守さんの温かいお心遣いでした。
滑り台事件のあったのは今頃の季節で、私はこたつに入って出されたおみかんを食べながら、いつものように母を待っていました。園長先生は事件のことには何も触れられませんでした。
夕方になって母が迎えに来た頃には外はもう真っ暗です。私は昼間の事が気になっていますが、母に言い出すことができません。そうこうしながらトボトボと歩いている途中、突然お肉屋さんの前で「コロッケを買おうか」と珍しく母が言い出しました。揚げたてのコロッケを一つずつもらい、食べながら帰ることになりました。食べ歩きをしているほんの少しの罪悪感と、熱々ホクホクで少し甘みのあるコロッケの美味しかったことが、今でもよみがえります。
大人になってから、保育園での滑り台事件を初めて母に話しました。
滑り台のトンネル内で少々パニックになったこと、前の男の子を蹴ってしまったこと、それで皆も泣き出して大騒ぎになってしまったこと、その事に「ごめんなさい」と言えなかったこと・・・
すると母は「園長先生から聞いて知っている」というのです。
「え・・!?じゃあ、あの時コロッケを買ってくれたのは、その事があって私を元気づけようとか、何か思うことがあっての事だったの?」
「いや、あの夜は寒かったし温かいものが食べたいなあ、と思って。それにお腹もすいていたし・・・。」と、母。そうだったのか・・・な?
誰にでも多かれ少なかれ、他人には言えない悩み苦しみ悲しみ、忘れられない心の傷があると思うのです。その心の奥底まで見抜かれ、共に苦しみ悲しんでくださっている仏さまがおられます。そんな事ではダメだと私を責めるのではない、「その苦しみ悲しみを共に背負う仏がここにいる。何があってもあなたを見捨てることがない。安心してわれにまかせよ。」と呼び続けてくださっている「南無阿弥陀仏」の仏さまです。お念仏は、厳しい寒さの中でも確かなぬくもりとなって、私と共に今ご一緒くださっています。
阿弥陀様の大きなお慈悲のお心を聞かせていただいた時、今までどれだけたくさんの方に迷惑をかけ、心配され、見護られ支えられてきたことか、と改めて痛感します。
今年もたくさんのおかげさまがありました・・。と、年の暮れに思うことです。称仏六字
