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11月法話


                       大願寺 横田 裕晃

 

今年の夏は大阪で関西万博が開催されました。開催されるまでは、様々な問題が指摘されていましたが、終わってみると予想を上回る盛り上がりだったようです。関東ではあまり感じませんでしたが・・・。
私も子どもの夏休みに一泊二日の家族旅行で万博に行って来ました。一日目は家族四人で千葉から大阪に移動し万博に行きました。万博の感想は一言、「暑い!!」でした。本当に暑い日でパビリオン待ちも暑かったですし、大屋根リングの上も暑かったです。子どもたちも暑さにうなだれながらも楽しんでいたようです。二日目は道頓堀や通天閣を観光し、私と妻と長女は千葉に帰り、次女だけ香川の祖父母の所に遊びに行く予定でした。
新大阪駅で次女と別れ、私たちは東京駅へ、次女は乗り換えの岡山駅に向かって新幹線に乗りました。初めて一人で香川に行くので親としては心配でしたが、次女は楽しそうにスジャータのアイスを持って新幹線に乗り込みました。

最近はスマホがあるので岡山駅に着く前に次女に降りる準備をするように連絡しました。返信がなかったのですが、それまでやり取りをしていたので大丈夫だろうと思っていたら、なんと、次女から「乗り過ごした、どうしよう」と連絡がありました。岡山駅で降りずに寝過ごしてしまったのです。私たちはすごいスピードで東京駅に向かっているのでどうすることもできませんが、妻はそれを聞いた瞬間、「新幹線から降りて次女の所に向かおう」といったのです。不安で悲しんでいる我が子を思うと、すぐに駆けつけ、そばにいてあげたいと思ったのでしょう。なんで寝過ごしたのと問い詰めるわけでもなく、まずは不安で悲しんでいる我が子のところに駆けつけたいと思ったのでしょう。直接行くことはできませんが、我が子を心配する親心は、すでに子どものところに届いているのです。

親鸞聖人が著されたご和讃(浄土和讃)に、
十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなわし 
摂取してすてざれば 阿弥陀となづけたてまつる
〈現代語訳〉
『ありとあらゆるご本願のはたらきを信じて、お念仏申す生きとし生ける者をご覧になって 摂(おさ)めとり、むかえ取って、決してお捨てにならない如来さまでいらっしゃるので 「阿弥陀さま」とお呼び申しあげるのです』
とあります。

阿弥陀如来様の救いのはたらきを「摂取不捨」(摂取して捨てたまはず)とお示しくださいます。阿弥陀如来様が、念仏の行者を光明の中におさめ救いとって決して捨てないことを意味します。
 阿弥陀如来様は私のことが心配で、心配でしかたがないのです。阿弥陀如来様の救いのはたらきは、迷いを迷いとも思わないで、我欲を募らせ、憎しみあい、争い、苦しみ悩んでいる私が心配でしかたがないのです。人々の苦悩に共感し、悩み苦しみ悲しんでいるものを見捨てておけないのです。そのようなものを摂(おさ)めとり、むかえ取ってくださるのです。
そして、そのはたらきは「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と、すでに私に届いているのです。耳に聞こえる、口に称えられる「南無阿弥陀仏」というすがたとなって私に届いてくださっているのです。私の耳に聞こえ、私の口に称えられて、私とこの苦悩の人生を共に歩んでくださるのです。阿弥陀如来様がご一緒くださるのです。

その後、次女と連絡を取り合い、何とか香川に向かうことが出来ました。香川で待っている祖母(私の母)に連絡したら、すごく心配して、岡山駅まで迎えに行こうかと言いましたが、何とか自分で向かっているので待っていてと伝えました。
その時、「あなた(私)も小さい頃に電車で寝過ごしたことがあったのよ」と聞かされました。私は記憶にないのですが、そのようなことがあったのです。今のようにスマホがない時代だったので、母は心配だっただろうなと、いまさらながら親心を知らされたことです。申し訳ない気持ちと同時に、心配してくださる方がいるということは、何とも有難く、安心をあたえてくださることだと思わされました。私のことを心配してくださる方がいるのだと。
今、阿弥陀如来様が私を心配して、「南無阿弥陀仏」と届いてくださり、決して見捨てることなくご一緒くださることです。