実践運動 / 法話

9月法話「プレミア」

天真寺 西原龍哉

■「プレミア」がつくと世界が変わる
 築地本願寺での研修会の帰り道、東銀座にある中華料理店に行きました。時間がある時には立ち寄るお気に入りのお店です。以前は並ぶことなく入れたお店の前に、その日は行列ができていました。お店の人に理由を聞くと、韓国の人気アイドルJさんがライブの帰りにこのお店で食事をしてその様子をSNSにアップしたことで、ファンの間で話題になったそうなのです。Jさんが座った同じ席に座りたい、Jさん頼んだものと同じメニューを食べたいというファン心理から、今では行列ができるファンの聖地です。
 まったく同じお店、同じ席、同じ料理であっても、誰が関わったかによって特別感が生まれ、「プレミア」がつきます。お馴染みさんに愛されていた中華料理が、いつの間にか若者で溢れる韓国アイドルの聖地になってしまうのですから、世界が変わってしまったような印象です。

■唯識の教えと「心が作る世界」
 仏教では、世界のあり方を「唯識」という言葉であらわします。
「手を打てば 鳥は飛び立つ 鯉は寄る 女中茶を持つ 猿沢の池」という奈良公園の猿沢の池を詠ったうたがあります。これは一つの現象でも、受け取る側の心によって全く違う世界が展開することを示しています。

 大好きな人が座った席、大好きな人が食べたもの、とそこにファンにとって「特別な意味」が加わるとその価値は一変するのです。つまり、すべての世界は「心」が映し出しているものにすぎない、というのが唯識の教えです。

■親鸞聖人の言葉
 親鸞聖人は次のように述べられています。
「善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり。唯念仏のみぞ、まことにておはします」
私たちの心がつくりだす世界は、移ろいやすく、たよりになりません。だからこそ、阿弥陀さまの「南無阿弥陀仏」という喚び声だけが、真実であり、変わらぬよりどころであると示されるのです。日々の暮らしに一喜一憂して揺れ動く私たちに、阿弥陀さまは「南無阿弥陀仏」と喚びかけ、移ろう心を超えて揺らがぬ救いへと導いてくださっています。
まさに阿弥陀さまの教えこそ、いつでも、どこでも、誰にとっても特別な「プレミア」なものであるといえるかもしれません。