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法話

鬼は内 福は内

本覚寺副住職 小林智美

 💚2月の法話💚 

2月となりました。

毎年、有名な神社やお寺でお相撲さんや芸能界の方が豆まきをしている様子がテレビで放映され、好きな芸能人が来てたなら、行けばよかったと思いながら、今では当然の如くこの時期スーパーで売っていた割引の恵方巻きにかじりつく私は立派なミーハーです。

節分の行事というのは元々、中国の宮中行事でそれが日本の宮中でも行われていたそうです。その後、江戸時代に民衆に広まり、季節の風物詩として現在に至っているようです。

「鬼はーそと!福はーうち!」と豆まきをして

歳の数豆を食べ邪気をはらう。豆は魔滅に通じた洒落ともいわれています。

浄土真宗では特に節分の行事は行いません。

俗信、迷信にとらわれる必要がないからです。

妙好人(浄土真宗の熱心なお同行)で知られる浅原才市さんは、自分の肖像画をみて「これは私じゃない、角を書き足してくれ」と絵描きさんに注文したというエピソードがあります。

豆をまくのは外でしょうか。邪なるものは、外でしょうか。

京都で学ばせていただいていたころ、先生が興味深い話をしてくださいました。

「奈良のあるお寺の豆まきで、鬼は内、福は内、と言いながら鬼役に豆を投げる。鬼は境内を逃げ回り、追いやられ、本堂に逃げ込む。鬼は本堂で仏さまに土下座をする。という行事がある。たしか、ご本尊は阿弥陀さまであった。」

お正信偈に「如衆水入海一味」とあります。海はきれいな水も汚れた水も、また大河の水も小川の水も同じように受けいれひとつの潮となります。

如来さまのお慈悲もどんなものも分けへだてなく功徳の一味にされます。

豆を投げつけられ、自身が鬼だという事を痛感するのかもしれません。

本堂で頭をさげても、別に角が取れるわけではありません。

分けへだてなく、そのままを救う阿弥陀さまのお慈悲の光に照らされて

改心するのであろうと私は思います。この改心を、仏教では回心(えしん)ともいいます。

豆をまいても私のなかの鬼はいなくなりません。

だからこそ、このままの私を阿弥陀さまは救うのだとおっしゃいます。

お前を放ってはおかないぞとおっしゃいます。

私自身が鬼のような心のすがただからこそ

お念仏をいただく身にならせていただいたのかもしれません。

なもあみだぶつ

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