12月法話『乗馬クラブにて思ったこと』
光台寺 八田泰観
小学3年生の息子が乗馬クラブに通い始めました。体験に行き、実際に馬に乗ったのですが、『怖さ』よりも『楽しい』が勝ったようです。息子は今までスポーツや習い事を自分からやりたいと言ったことが無かったのですが、『やりたい!』と言ってきたのでやらせることにしました。飽き性な息子なので長続きして欲しいと思います。
乗馬は文字通り、馬に乗って楽しむスポーツです。乗馬クラブにはたくさんの馬達がいます。乗馬クラブにいる馬たちの多くがどこからくるかご存じですか?馬には色々な種類がありますが、日本の乗馬クラブにいる多くの馬たちはサラブレットという品種です。サラブレットは競馬用に品種改良された馬です。
競馬を引退した馬で性格の良い馬のみが、乗馬クラブで第2の生活を送ることが出来ます。雌であれば繁殖に行くことも可能ですが、どこにも引き取りがない場合は、屠畜されペットフードになります。
今回のお話で何を申し上げたいかと言うと、仏教では「生きとし生けるものはみな平等である」と言われます。親鸞聖人は「一切(いっさい)の有情(うじょう)はみなもつて世々生々(せせしょうじょう)の父母(ぶも)・兄弟(きょうだい)なり」とおっしゃっています。つまり、すべての生きとし生けるものは、何度も生まれ変わりするうちに家族同然になるということです。仏教では、当然ながら人間の命に優劣はありません。そして、動物や植物の命も同じです。
先ほどの、馬たちはどうでしょう?家畜はどうでしょう?養殖の魚はどうでしょう?どれも人間の都合のいいように生かされ殺されています。この命は等しく平等なのでしょうか?命という意味では平等です。ですが、心情としては平等と感じることは難しいと思います。今の経済社会を生きている我々は知らず知らずの内にこの様な事を行っています。普段なにげなく食べている食べ物はこのような犠牲の上に成り立っています。今を生きている我々こそ、自分達の都合で命を奪っている悪人であることを理解し、悪人である我々を救うと願い、決して見捨てることなく我々を照らし続けてくださる阿弥陀仏という存在に気づき、ありがたいと手を合わせて貰えたら嬉しいです。