法話

6月法話『阿弥陀如来の大悲と通じる「母のまなざし」』

西方寺 西原大地

 親鸞聖人のお弟子である唯円房という方が著した書物に『歎異抄』というものがあります。

 この書は、浄土真宗の深遠な教義体系を理論的に解説したものではありません。むしろ、親鸞聖人の仰せと異なる考えを持つ人々の出現に対する嘆きを綴った書物であり、そこにはご生前の親鸞聖人の息づかいが伝わるような言葉が収められています。そのような理由もあるのでしょう、今日に至るまで多くの人々に読み継がれてきました。

 その中に、「さるべき業縁ももよおさば、いかなるふるまいもすべし」という親鸞聖人のお言葉があります。これは、たとえ「人を殺さないでおこう」と思っていても思いもよらず人をあやめてしまうことがあり、また逆に「殺そう」と決意しても一人の命すら奪うことができないこともある。つまり、私たちは、思い通りにならない命を抱えて生きているという事実が示されています。

 そして、そうした私たちを、あるがままに無条件で抱きとってくださる存在こそが、阿弥陀如来という仏さまであり、そのお慈悲のお心の一端に触れることができるような話を、ここで一つご紹介いたします。

 今から27年前の1997年、兵庫県神戸市で、子どもが次々と危害を加えられるという痛ましい事件が発生しました。犯人が「酒鬼薔薇聖斗」と名乗ったことから、世間では「酒鬼薔薇事件」として知られるようになります。加害者は当時、中学三年生の男子生徒でした。

この事件の中でも、とりわけ小学校六年生の男の子が亡くなった時の衝撃的な報道の内容を記憶されている方が多いと思いますが、その前段階として、実は複数の児童が既に襲われていました。その中には、小学四年生の山下彩花さんという女の子も含まれており、彼女はハンマーで頭部を殴打され、脳挫傷によって亡くなっています。

愛する娘を失って、亡くなった彩花さんの母親である山下京子さんは『彩花へ―「生きる力」をありがとう』という書籍を出版されました。この書籍の締めくくりに差しかかるあたりで、加害者である少年に宛てたメッセージが綴られているのですが、事件の概要とともにその内容をご紹介いたします。

事件が起こった日の午前中、彩花さんは母親に真珠のネックレスをねだったり、一緒にピアノを弾いたりと、久しぶりに自宅で穏やかな時間を過ごしていました。昼食後には、友人と待ち合わせをしていた公園に向かいます。公園で一人待っていた彩花さんのもとに近づいてきたのが、加害者の少年でした。

その少年は「手を洗う場所はありますか?」と尋ねたそうで、彩花さんは親切心から、自分の通う小学校へ案内したといいます。その日は地域のカーニバルが開催されており、街には多くの人々が行き交っていました。

彩花さんと少年が小学校の正門へと続く遊歩道を歩いていく中、人通りの多い道に出る直前のT字路で、少年は「お礼が言いたいので、こちらを向いてください」と声をかけます。彩花さんが振り向いたその瞬間、少年はハンマーを彼女の頭部に振り下ろしたのです。

その後、彩花さんは病院に搬送されますが、医師に見せられたレントゲン写真には、頭蓋骨がまるで瀬戸物のように砕けていた様子が映し出されていたと記されています。母親はその写真を直視することができなかったと綴っています。

医師の話によれば、あれほどの損傷は前例がなく、生きているのが不思議なくらいで、手の施しようもない状況だったそうです。そして事件から一週間後、彩花さんは静かに息を引き取りました。

以上が事件の概要となりますが、冒頭でも触れましたとおり、山下京子さんは、加害者の少年に向けて次のようなメッセージを残されています。

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最後にA君へ

今、あなたに会いたいような、それでいて絶対に顔も見たくないような、複雑な思いでいっぱいです。

私たちのかけがえのない宝物であった、たった一人の愛娘を、あのようなかたちで奪い取ったあなたの行為を、決して許すことはできません。

母親であるがゆえに、娘が受けた苦しみと同じことをあなたに返したいという、どうしようもない怒りと悔しさ、そして憎しみが込み上げてきます。

このように、娘を失った悲しみと怒りを隠さず言葉にした後、「もし、私があなたの母であるなら――。」という言葉からメッセージは続いていきます。

もし、私があなたの母であるなら――。

真っ先にあなたを思いきり抱きしめ、共に涙を流したい。たとえ言葉はなくとも、一緒に苦しみたい。

あなたの目は、母である私を超えて、一体どこを見ていたのでしょうか。私の声があなたの乾いた心に届き、揺さぶることはできなかったのでしょうか。

あなたが生まれてくるのを楽しみに待ち、大切に育ててきたことを、きちんと伝えていたでしょうか。

その身体を強く抱きしめて、温かな血のぬくもりを伝えていたでしょうか。

そして、あのような恐ろしい行為に至るまで、自分を追い詰めていくあなたの心に、なぜもっと早く気づいてやれなかったのか。たった一人の母親であるのに、なぜ理解してあげられなかったのか――。

 全文をご紹介するには少々長くなりますので割愛いたしますが、このメッセージは「あなたは私の大切な息子なのだから」という言葉で締めくくられています。

誤解のないように申し添えますが、このメッセージはあくまで加害者であるA君の更生を願って記されたものであり、その点においては浄土真宗の教えと必ずしも一致するものではありません。

しかしながら、「異常な事件を起こした異常な人間」として切り捨てるのではなく、「あのような恐ろしいことをしてしまうまで、自分を追い詰めていくその過程に、なぜもっと早く気づいてやれなかったのか」という問いかけには、自らの思いどおりに生きられない私たちに向けられた深い憐れみの眼差しが感じられ、その存在をありのままに受け入れようとされる阿弥陀如来のお慈悲の一端に触れることができるのではないでしょうか。