法話

6月法話 罪を憎んで人を憎まず

「罪を憎んで人を憎まず」

西光寺 吉弘一秀

 

―その人を本当に更生させたいと思うならば、まず許すことから始めなければならない―

 

尊敬する教戒師の方からお聞きした言葉です。

 

阿弥陀(あみだ)如来(にょらい)も許すことを前提に…というより、すくうという前提で本願(ほんがん)を建てられました。阿弥陀(あみだ)如来(にょらい)の本願(ほんがん)には、すべてのものをすくうと誓われていますが、その最後にこういう罪を犯した者[i]は「除く」と言われています。しかし、そこには除くという意思はなく、その罪の重さを知らしめ、必ず必ずあなたを見放すことがないからと誓われているのです。

 

この「除く」を、学校の規則に当てはめるならば「退学」が当てはまるのではないでしょうか。退学とは、もちろん学校を辞めさせられるという一番重たい処分ですが、これを辞めさせるだけでは終わらせなかった先生がおられました。その方は、昭和初期に旧制高等学校の京都三高の校長を勤められた森外(もり)三郎(そとさぶろう)先生です。これから先は、森先生の事が紹介されている、桑原哲夫氏の『森外三郎先生のこと』を元にして続けさせていただきます。

 

〈森外三郎先生は、温顔で背丈の低いお人だった。その教育方針は自由放任主義であり、生徒の自治に任せることが多かった。式はなるべくやらず、やっても訓示が短い。学生から見ればまことに有難い先生ではあったが、しばらくすると、自由放任主義では対処しきれない時代となっていった。

昭和5年6月中旬、ある日、校門は厳重に閉ざされ、校舎の屋根にはいたるところ赤旗がヘンポンと翻っている。中へ入ろうとすると、学生が阻止する。一夜のうちに学生が学校を占領し、ストに入ったのである。慎重に準備されたらしく、全体の組織、事務分担など鮮やかなもので、結束は一月近く崩れなかった。

一月たち、しびれを切らせた強硬派の教授たちの主導で、警官が入り、学生を解散させ、校舎を取り戻した。生徒の処分は不可避だとは誰しも思ったが、7月15日、50数名の生徒が一挙に放校、つまり退学処分である。これにはみんな驚いた。空前の大量処分に文部省当局が再考を求めたが、森校長は悪い事をしたものを処断するのに何の遠慮がいるか、といって断じて譲らなかった。ところが秋になると、森先生は高卒卒業検定試験をやると発表した。高校へ通っていなくとも、それと同等以上の学力有と認められたものには、卒業と同じ資格を与え、大学進学を許す制度で、もちろん極めて難しい。各高校はその試験をする権利があったのだ。その出願者の大部分は過日の放校生である。試験の前に校長は私たち試験員を集めて、静かに力を込めて言った。

「私は校長としてあなた方の学問に関する事を掣肘しようとは思ったこともない。しかし、今私は森個人として、命令ではもちろんなく、ご相談したい。古語に、その罪を憎んで、その人を憎まずというのがある。勉強の最中に、いかなる理由にもせよ、学業を捨てねばならぬという事はつらい事です。明日からの試験に際しては、人間という立場から慎重に採点していただけないでしょうか。もちろん私は、あなた方の自由を縛ることはできないし、しようとも思わぬが、できるだけ慎重にお願いしたい。」

 ほとんど全員が及第した。森先生はその学生達の進学指導をしたが、それぞれの志願の大学と学科が決まると、先生は活動を開始した。それぞれの学科の大学教授たちを歴訪したのである。

「本人の成績が悪ければ問題外だが、もし成績良好ならばただ三高でスト処分されたというだけの理由で忌避しない様に」

と懇願して回られたのである。寒々とした冬の大学の構内を、65歳の老人がとぼとぼ歩いていた。処分学生の大多数はこうして大学に進むことができた。

 こうした指導が一通りすんだ翌昭和6年の1月10日、森校長は三高を去った。引責辞職をされたのである。〉

 

森先生は、ストを起こした生徒たちに退学処分を出しました。もし、それで終わっていたならば、大きな挫折を味わった者もいたことでしょう。また、それをバネとして奮起した者もいたことでしょう。しかし、いずれにしても捨てられたという思いはぬぐえなかったと思います。

森先生は退学処分だけでは終わらせませんでした。教育の場だけでなく教育者として生徒の人生に責任を持つ。かならずすくう、かならず助けるが前提にあっての退学処分だったのです。

 阿弥陀(あみだ)如来(にょらい)もまた、本願(ほんがん)の中に「除く」と言われました。それは私を除くという意味だったのか。否。阿弥陀(あみだ)如来(にょらい)は先手先手の仏様。先手 阿弥陀如来のすくい 先手 阿弥陀如来の御呼び声。道を歩んでいれば様々なものに遇います。望まぬことにも遇います。厳しい催促もあります。阿弥陀如来はそのすべてに、かならずすくう、かならず助けると先手先手で、はたらき続けている仏様なのです。

                                  南無阿弥陀仏

[i] 五(ご)逆(ぎゃく)と誹謗(ひほう)正法(しょうほう)

 五逆…五つの重罪 1、父を殺す 2、母を殺す 3、聖者を殺す 4、仏を傷つける 

5、仏教の和を乱す

 誹謗正法…仏の教えを謗る

投稿者

saikohji@hb.tp1.jp

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