法話

御恩報謝のお念仏

真宗寺 柏倉学法

 新年には一様に「あけましておめでとうございます」とご挨拶をされることでありますが、とんちで有名な一休さんこと一休宗純禅師は「門松は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」と世の無常を詠まれ、蓮如上人は新年の挨拶に来られたお弟子の道徳さんにお念仏申すことを勧められたのは有名なお話であります。


 『勧修寺村の道徳が、明応二年の元日、蓮如上人のもとへ新年のご挨拶にうかがったところ、上人は、「道徳は今年でいくつになったのか。道徳よ、念仏申しなさい。念仏といっても自力と他力とがある。自力の念仏というのは、念仏を数多く称えて仏に差しあげ、その称えた功徳によって仏が救ってくださるように思って称えるのである。他力というのは、弥陀におまかせする信心がおこるそのとき、ただちにお救いいただくのであり、その上で申す他力の念仏は、お救いいただいたことを、ありがたいことだ、ありがたいことだと喜んで、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と申すばかりなのである。このようなわけで、他力というのは他の力、如来の本願のはたらきという意味である。この信心は臨終まで続き、浄土に往生するのである」と仰せになりました。』(『蓮如上人御一代記聞書(現代語版)』3頁)

 蓮如上人はお念仏を申すことを勧める中に、自力の念仏と他力の念仏があることをお述べ下さり、他力の念仏に帰すべきことをお示しになります。

 新年を迎えて正信念仏偈を勤めるお寺やお宅が多いことと思いますが、親鸞聖人がお示し下さった『顕浄土真実教行証文類』正信念仏偈の前には、み教えの要点と、書かずにはおれなかったお心をお述べ下さいました。

 そのお心の一端は『しかれば大聖(釈尊)の真言に帰し、大祖の解釈に閲して、仏恩の深遠なるを信知して、「正信念仏偈」を作りていはく、無量寿如来に帰命し、不可思議光に南無したてまつる。』(『顕浄土真実教行証文類』註釈版聖典)202頁

 お釈迦さまの説かれた真実の教え『大無量寿経』を頼りに、曇鸞大師を中心に七高僧さまの解釈を聞き、如来さまのお慈悲が広大無辺であったとご恩深きことを知り、正信念仏偈を書かずにはおれなかったとお述べ下さり、そして正信念仏偈の最初に『無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつると。』ご自身の信仰告白をされます。重ねて申しますが、親鸞聖人は仏恩の深きことを信知されて、浄土真宗の要は如来さまのお救いにおまかせするしか他は何もないと味わっていかれたのでしょう。

 年の初めに、「我に任せよ必ず救う」と我がもとに到り届いて下さっている阿弥陀さまのお慈悲が南無阿弥陀仏であり、この南無阿弥陀仏を我身にお聞かせ頂き、共に御恩報謝のお念仏を称えさせていただきましょう。

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