法話

7月法話 夏山にはご用心

「夏山にはご用心」

                             真栄寺 馬場弘道

 

 7月に入り、夏山登山のシーズンがやってきました。ほかの季節には登れない山の山開きがあり、長期休暇もとりやすいため、多くの方が夏山を楽しみにしています。最近ではカラフルでおしゃれなウェアや靴、登山道具も増えています。

私も、小学生の時から父に連れられて、富士登山を楽しんできました。子どもながらに山頂から見る御来光と、山頂でいただくホットミルクに感動した覚えがあります。

 そんな私が20代前半の時に、大学の同期3人で「富士山を麓(一合目)から登ってみよう」と計画しました。山梨県富士吉田市に一泊し、北口本宮富士浅間神社にある吉田口登山道を早朝に出発。予定よりは遅れましたが、若さと勢いで八合目のある「太子館」に午後8時に到着。仏教好きな友達が予約してくれたこちらで、聖徳太子像に礼拝して就寝。翌朝、まだ真っ暗な中起床して、御来光を見るために再び出発。順調に山頂が近づいてきますが、それに合わせるように天候がわるくなっていきます。そして、山頂に無事到着。でしたが、山は雲に覆われ、雨も降りだし、感動もそこそこに早く下山することになりました。

山は危ないので、3人で離れることなく一緒に下山しようと誓いあって山頂を出発しました。ところが10分も経つと、2人の友達を見失いました。3人とも、歩くスピード、体力が違うので、バラバラになってしまったのです。私の気持ちとしては、自分が一番正しいペースなのに、どうして合わせてくれないのか。あんなに誓い合ったのにどうして守ってくれないのか。1人下山しながら、離れていった2人への怒りや憎しみは増すばかり。不安もつのり歩けば歩くほどに腹がたっていきます。それでも、何とか無事に下山でき、2人と顔を合わせる事ができました。しかし、2人とも不機嫌な顔。腹が立っている私もそうですが、話を聞くと2人とも同じような気持ちで下山していたようで、3人とも最後まで、自分中心の気持ちでした。  

3人で温かいお蕎麦を食べながら、身体も気持ちもほぐされていったのを、懐かしく思い出します。おかげさまで、2人とは今でも大の仲良しです。

 

親鸞聖人のご和讃に

無明煩悩しげくして

   塵数のごとく遍満す

   愛憎違順することは

   高峰岳山にことならず  (正像末和讃)

 

と、あります。

 ほんとうのことがわからないという愚かさが、塵のようにみちみちている。心にかなうものはむさぼり愛し、心に反するものは怒り憎んでいる。その煩悩の激しさは高峰岳山のようで、大変険しくそそりたつようである。

 親鸞聖人は、自らの心を厳しくみつめられました。計り知れない自分中心の心、煩悩が体の隅々まで満ちている。とお伝えくださり、その心を険しい山々にたとえ、煩悩が激しく燃え上がる様が、この和讃からうかがえます。

 どこまでいっても、私が・私が、と自分を中心に考えてしまいます。そして相手に対しては怒り・憎しみが、生きている限りなくならないのが、このわたくしです。

 甲斐和里子師の詩に

 み仏の み名を称ふるわが声は

 わが声ながら たふとかりけり

 こんな私をおさめとって見捨てないのが阿弥陀さまです。どこまでいっても阿弥陀さまの光は私を照らし、大丈夫・大丈夫と包んでくれています。なかなか、阿弥陀さまのはたらきに気づけないわたくしですが、せめて「南無阿弥陀仏」と阿弥陀さまの「み名」を称えさせていただき、報恩感謝の生活をおくらせていただきたいものです。

 

 合掌

 

投稿者

saikohji@hb.tp1.jp

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