浄土真宗千葉組

千葉県にある浄土真宗本願寺派(お西)の活動を紹介しています。

2月法話 「誕生日」

2月法話 「誕生日」

「誕生日」

法光寺住職 隆康浩

 

 2月19日は、私の誕生日です。

 

 以前より親から聞いているところでは、本当は2月に生まれる予定ではなく、予定日は3月末から4月初頭だったそうです。ところが2月に入って大雪が降ったため、境内に積もった雪を母親が雪かきしていたところ、急に産気づいて予定より1月半早く私が生まれてしまったのだそうです。

 

 そのため生まれたときの体重は1700グラム余りしかなく、当時2500グラム以下の新生児は未熟児と言い、40日ほど「保育器」というガラスケースに入って育てられました。もちろん記憶など残っていませんが、当時の写真を見ると、ケースの中の赤ちゃんは本当に小さくて、これが自分なの?と驚くばかりです。

 

 親はとても心配したそうで、母の方が私より先に退院したので、毎日病院まで様子を見に来てくれました。「こんなに小さく生まれてしまって、この子は無事育つのだろうか?健康に大きくなってくれるだろうか?」そう思い、未熟児に関する本を買ってきて読んだそうです。その本によれば、未熟児の子どもも大体は問題なく成長しているし、中にはスポーツ選手になった人もいる、とのことでした。

 

 早くに生まれてまだ名前が決まっていなかったので、親は「そうだ、これだ。この子もおそらく大丈夫だとは思うけど、何はなくともとにかく健康に育ちますように」それだけを願って、名前に健康の「康」という字を入れたそうです。そんな経緯もあってか、元気に健康に育てよと、周囲から願われ支えられ生きてきたのは間違いないことだと思います。

 

 しかし、この誕生日に、親からかけられる釈然としない言葉が一つありました。それは、「誕生日は、みんなに御祝いしてもらう日じゃなくて、ここまで育てられたことをみんなに感謝する日ですよ」というもの。もちろん、家族にお祝いされなかった訳でもありませんが、「他の友達は、みんな家族から御祝いしてもらう日で、誕生パーティーを開く子もいるのに、なぜ自分だけは周りに感謝する日なのか!?」と、どこか心に引っかかってすっきりしない気持ちがあったのです。

 

 それから数十年が過ぎ、今では自分も親と同じ2人の男の子を持つ身となりました。以前、子どもが高熱を出して夜通し横について看病していた時、ふと思い出したことがあります。それは、自分も同じようなことがあったと聞かされていたことです。

 

 私が3才位の頃、40度近い高熱が続いたことがあり、親は心配して私に聞いたそうです。「大丈夫か?つらいか?」。その時私はこう言ったのだそうです。「もうダメかもしれない。死んじゃうかもしれない…」。その言葉に親はとにかくビックリして、大丈夫だとは思うけど本人が言うのだから万が一大変なことになってはいけない、そう思って夜通し必死で看病してくれたそうです。

 

 その時思いました。そうであったな。自分もこのような親のまなざしに見守られ育ってきたのだな。今自分がその立場になってあらためて気づかされます。いや、親だけではありません、様々な人々、様々な動植物、水や空気や大地や色々なものの中に、この私が育まれてきたことを忘れてはならないなと思うのです。そう考えると、今になってあの親からかけられた言葉が素直に受け止められるようになった気もします。

 

 浄土真宗の教えは、「南無阿弥陀仏」に尽きると申します。「南無」とは「まかせる」こと。「阿弥陀」とは「はかり知ることができない」ということ。はかり知ることができない無限の時間と空間の中に、たまたまご縁あってこのいのち恵まれ、様々なものの中に育まれて生きて、そしてこのいのち終わっても必ず引き取られていく安心の世界があるということ。この私も、はかり知れない色々なものの中に支えられ思われこのいのちがあったこと、そんな大きな世界の中に身をゆだねて自分らしく生きていくばかりと聞かせていただく時、ただただありがたいことであったなと感謝するばかりです。

 

 2年前、長男が10才になる誕生日、手紙を書きました。最近10才は、20才の半分だから「2分の1成人式」なるイベントをする地域や学校もあると聞きます。半分とはいえ、大人に近づく息子に何か伝えたいと思っていたときに思い返したのが、あの言葉でした。

 

 「誕生日は、みんなに御祝いしてもらう日じゃなくて、ここまで育てられたことをみんなに感謝する日ですよ」

 

 あれほど自分が釈然としなかった言葉を、まさか息子に伝えたいと思うようになるとは…不思議なものです。でも、それだけ大切な意味を持つ言葉だったと思いますし、その意味がこの歳になってやっと自分にも至り届いたのかもしれません。同時に、どれほど親がきちんと自分に向き合って伝えてくれた大事な言葉かと、今になると感謝するばかりです。

 

 その手紙を読んだ息子は「何のことやら!?」とキョトンとしていましたが、いつかまたその言葉の意味を自分自身で味わっていって欲しい。自分が大きな世界の中に包まれ生かされているいのちだということを、気づかせていただく時がきたら嬉しいなあと思っています。

 

 「お父さん、お母さん、みなさん、ありがとう!南無阿弥陀仏!!」

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