2月法話 お浄土は何処にあるの?
お浄土は何処にあるの?
光台寺 八田宗玄
以前に何処かで西方極楽浄土までの距離は西の方10京光年、と言う記事を読んだ事があります。お経を元にして計算するとそうなのだそうです。今分かっている宇宙の果ては137億光年ですから、想像も出来ない程大変な遠くにあるという事になります。
そしてお浄土に還った方々は、そこから畳のこちら側からあちら側へ移る様に簡単に、またこの現世にやって来て、残された私を救う為に阿弥陀様のお手伝いをして下さるのです。
さて『阿弥陀経には』
これより西の方、十万億の諸仏の国々を過ぎた所に、極楽と名付けられる世界がある。と説かれています。
先の計算は多分ここから導き出したものなのでしょうが、こういう話を聞きますと、昔の人ならともかく、科学技術の発達した現代に生きる人々には、とても信じられない事と思います。でも昔の人も信じられなかったそうです。
大事な事は、仏様ご自身も常識の世界で分かるとは仰っていません。親鸞聖人は『正信偈』の中で「弥陀仏本願念仏、邪見驕慢悪衆生、信楽受持甚以難、難中之難無過斯」(阿弥陀仏の本願念仏のおいわれを素直に頂く事は、難の中の難、これに過ぎたるは無し)とお示しになりました。つまり人間の世界を超えたもので、理解できない事なのです。
でも、『観無量寿経』には「去此不遠」(ここを去ること遠からず)と説かれています。つまり近いとあります。どの位近いのでしょうか。同じく『観無量寿経』に「常にこの行人の所に来至す」とあります。常にお念仏申す者の所に、いつも阿弥陀様は「来たり至る」と説かれてあります。
一方では、想像も出来ない程大変な遠くと説かれ、もう一方では常にお念仏申す者と共にあると説かれています。どちらが本当なのでしょうか。
どちらも本当なのだそうです。一見矛盾しているようですが、これが一つである所に阿弥陀様の世界があるそうです。遠くて同時に近い、近くて同時に遠いという事が覚りの領域であり、
このことを超越的であり、内在的であると言えるそうです。つまり、想像も出来ない程遠く離れているという事は、人間の煩悩を完全に超えているという事であり、その煩悩の真只中にあって、お念仏申す者と共にあると説かれている事が「常にこの行人の所に来至す」と言う謂われだそうです。
お浄土は人間が獲得した知識で捉えようとしても捉えられません。確実に言える事は、ありがたいお念仏の教えが阿弥陀様によって私の手の届く所に送られてきているという事です。
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