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1月法話「伝わるお念仏」

 稱名寺 長井一道 

皆さんは、命を終えていかれた方というのは、どこへいき、何をされているとお考えになりますか?

もしかすると個人で答えを持っているのかもしれないですし、宗教ごとにおおまかな答えを持っているのかもしれないです。

こんな言葉を耳にしたことがあります。「お盆になると地獄の釜のふたが開いて、ご先祖様が帰ってくる」よくよく考えると厳しい言葉です。ご先祖様はお盆の前は地獄にいらっしゃって、お盆になって地獄の釜のふたが開いたから、この世界にかえってくることが出来たという厳しい言葉です。

かと思えば最近こういう言葉をよく耳にします。「ご冥福をお祈りします」という言い回しです。命を終えると冥土、冥界という次の世界がある。その世界には幸福と不幸がある。どうせならば幸福であってほしいという思いを込めて、ご冥福をお祈りしますという言い回しになるのかなと思うんです。

色々な表現方法を耳にします。「草葉の陰から見守っていてください」「安らかにお眠りください」「お星さまになって見守っていてください」

人は愛する者との、尊敬する者との死別という別れのご縁を頂戴した時に、そこに一生懸命に言葉を紡ぎだしてきたのだろうと思うところです。

では、浄土真宗ではどうなのか?浄土真宗では阿弥陀様と申し上げる仏さまを大切にしています。この阿弥陀様は「そうじゃないんだよ」と仰って下さります。「地獄ではない、草葉の陰でもない、ご冥福を祈られるような場所でもない、お星さまでもない。そうじゃなくて、あなたのその命はお浄土に仏様として生まれていく命なんだよ」と仰って下さるのが阿弥陀様。

そうしますとね、私は最初こう考えました。「そもそもお浄土とは何だろうか。仏様とはなんだろうか。」

そうすると阿弥陀様はこう答えてくださる。「あなたがお浄土に仏と生まれていく、その準備は全部、私(阿弥陀)が準備しておきますからね。そして、その準備が整った時には、私から皆様のもとに赴きますからね。あなたがその目で私(阿弥陀)の姿を見れないということは分かっているよ。分かっているから、私は「南無阿弥陀仏」という言葉の仏となって、声の仏となって、あなたのもとに赴きますからね。だから「南無阿弥陀仏」と聞こえてきた時には、それはすでにあなたを救う準備が整っているということだから、お浄土というのは分からないだろう、仏様というのも分からないだろう、分からないだろうけれどもその通りに聞いておいておくれ。」と仰って下さるのが阿弥陀様という仏様なのです。

一年ほど前こんなことがありました。何かと言いますと、恩師を一人亡くしたんです。私は浄土真宗の勉強をするために、京都の大学に入学しました。そこで私はA先生という先生に指導していただいたんです。A先生のもとには、一緒に勉強させてもらった仲の良い先輩・同級生・後輩がいるわけです。具体的に言えばA先生のゼミで一緒に勉強させてもらった中でも特に仲の良い後輩が一人いる。その後輩から、夜中の1時半頃、スマートフォンにメッセージが来る。そこには一言「A先生がご往生されました」とメッセージには書かれていました。

驚きました。年齢で言えばまだ50代、亡くなる一年半ほど前に会った時には元気にしてらっしゃった。そんなわけがないと思いました。でもこの連絡をくれた後輩というのは嘘を言うような後輩でもない。私は「本当のことなんだ」と思いました。

言葉を失いますね。なんて返事を返せばいいのだろうかと、15分くらい考えて、最終的に送った返事は一言でした。「南無阿弥陀仏」とだけ打ち込んでメッセージを送りました。

ひと月くらいたってから、ふと思ったんです。何故あんな返事をしたのだろうか。普段ならばしない返事を、なぜあの時はしたのだろうか。考えて出てきたのは、「きっとあの返事は亡くなったA先生が送らせてくださったのだろう」という答えでした。

私に浄土真宗を教えてくださったA先生は、もう私の前に現れることはない。だけれどもA先生はきっと、阿弥陀様のお救いに預かってお浄土に仏様として生まれてくださっているはずだ。そして仏となったA先生が阿弥陀様と共に、今度は私を浄土に仏として生まれさせようとして下さっている。「あなたのその命はお浄土に仏と生まれていく命なんだよ」「あなたのもとにも阿弥陀様の救いが届いているんだよ」と私に伝える為に、仏となったA先生があの時、私に「南無阿弥陀仏」とメッセージを送らせてくださったと味わいたいです。

最初の質問は「命を終えていかれた方々はどこにいかれ、何をしてらっしゃるとおもいますか?」という質問でした。
私なりの答えとしては「命を終えた方々は、きっと阿弥陀様の救いにあずかってお浄土に仏様と生まれてくださったんだと思います。そしてお浄土に仏様と生まれてくださった方々が、今度は私をお浄土に仏と生まれさせるために、様々な方法で阿弥陀様のお救いを私に伝えて下さっているのだろうな」と感ずるところです。