浄土真宗とお盆
法話

浄土真宗とお盆

常圓寺住職 井上敬信

 💚7月の法話💚 

 お盆の時期が参ります。私が住んでいる船橋では8月13日の夕方車で出かけていましたら、提灯を持った方が家族連れで歩いている風景をよく見かけます。きゅうりやなすで馬や牛を作ったり、御盆提灯を家の前に出しているご家庭があります。または迎え火をたく。ご先祖様が迷わないように目印をして、間違えずに帰ってきてもらうようにであります。またお帰りの際には送り火をたく。その大きなものが京都の五山の送り火です。またきゅうりやなすで馬や牛を作るのは馬は亡き人が急いで帰ってきてほしいという願いから、牛はゆっくり帰ってほしいという願いから亡くなった方が帰ってこられる乗り物を家族が作るのです。最近はホームセンターで売っている藁のものが多くなってきましたが。

お盆とは『仏説盂蘭盆経』を基にした法要であります。仏弟子の目連尊者が初めて神通力を得た時、最初にご自身の母親がどこにいるのか探しに行かれました。すると母親は餓鬼道に堕ちられていて、大変な苦しみの中にいました。食べ物や飲み物を母のもとにもっていき、与えようとしても火や炭になって燃えてしまい母を苦しめることになってしまいました。大変悲しまれた目連尊者はお釈迦様に相談に行かれます。お釈迦様は

「夏の修行が終った7月15日に僧侶を招き、多くの供物をささげて供養すれば母を救うことが出来るであろう」

と。おっしゃられます。目連尊者がお釈迦様の教えのままにしたところ、その功徳によって母親は助かることが出来ました。

というのがお盆のおいわれです。

 初めてこの『仏説盂蘭盆経』を拝見しました時びっくりしたことが二つありました。まずこのお経典には日付が入っており、7月15日とあります。お盆は8月と思っていましたが、東京は7月でつとめるので、何故時季が違うのだろうと思いました。

実は8月になったのが新しく、日本において暦が変わったうまれたかたちです。明治時代まではお月様の運行を基にした太陰暦、明治からはお日様の運行をもとにした太陽暦が使われるようになりました。暦のずれが一カ月とちょっと、毎年変わります。ですから一カ月遅れをもって旧暦とすることになりました。もともとは旧暦の15日は満月ですので、7月の満月の時につとまっていたのが、お盆ということになります。

 もう一つはお盆のお経典にはご先祖様がかえってくるという記載がないということです。「7月15日に僧を供養することは現在の父母、七世の父母の一番の供養になりますよ。」という書き方であります。ですからご先祖さまが帰ってくるというのはもともとお盆には無い考え方です。

 浄土真宗は迎え火、送り火をしません。何故ならばまずお経典にそのような記載がないからです。もう一つは親鸞聖人はご自身の主著である『教行信証』の中で阿弥陀様のはたらきについて

  つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。

と書かれています。「つつしんで、浄土真宗すなわち浄土真実の法をうかがうと、如来より二種の相が回向されるのである。一つには、わたしたちが浄土に往生し成仏するという往相が回向されるのであり、二つには、さらに迷いの世界に還って衆生を救うという還相が回向されるのである。」ということです。

南無阿弥陀仏をいただいたならば、阿弥陀様のおはたらきによって私たちはお浄土にお生まれさせていただく、そしてお生まれさせていただいたならば、佛となって縁ある方を救うはたらきをさせてもらえるのであります。

お盆の時だけ帰ってくるのであるならばいつもはいないということです。それならば

「お盆にご先祖様が帰ってこられるならば、普段は御位牌にはどなたもいられないのですね。」

というと皆さんびっくりなさいます。さきだっていかれた方はいつでもどこでも私たちによりそってくださる仏さまなのです。

 浄土真宗は御位牌ではなくて過去帳を大事にします。過去帳も亡くなられた方順にならべたものではなく、1日から31日まであって、その方のご命日のところに記載させていただくものを大切にします。新しい過去帳ですと、お一人しか記載されていないものもあります。お一人しかいないと見るのではなく、分らないから記載していないだけで、数多くの縁ある方がその空白のページにいると見ていくのが過去帳の特徴であります。

 阿弥陀様のおはたらきの中で自分自身が一人で勝手に生まれてきたのではなく、多くのつながり、多くの思いの中でつながってきた。このつながりに感謝させていただく法会がお盆であります。

合掌

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