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法話

瞑想、迷想 今、思いつくままに あるがままに

善龍寺住職 小谷善親

 💚12月の法話💚 

 先代住職の父がお浄土へ旅立ったのは40数年前のことです。父は太平洋戦争が終わり復員し、21歳の頃から28年間住職を勤めました。けれども、6年ほど病気と闘いましたが勝てませんでした。

 私も、お念仏にくるまれて、齢68を迎えました。それは、父や祖父、そして曾祖父・高祖父の年齢をとうに越えてきたのです。

 ある時、「生は偶然 死は必然」という書を目にしました。それは当然のことですが、なかなか簡単には受け取ることができませんでした。常に、生に執着している自分を見つけてしまうのです。

 アンチエージングという言葉があります。老化防止・抗老化のことですが、年齢を重ねると次第に若い頃と比べ、多くの点で変化が起きてきます。私自身もそうでした。いつ頃であったかは記憶にはありませんが、髪の毛が少しづつ白くなってきて、黒く染めることにしました。しばらく続けましたが、皮膚のかゆみや周囲の汚れなどで、止めてしまいました。それからは全体が白くなり、髪の量も少なくなりました。それに加えて、鏡を見れば皺も増え、シミも多くなりました。体の節々も痛くなり、「全く歳はとりたくないものだ」と思います。

「美しく生きたい」と多くの人が感じていると思います。しかし、生きているという事は確実にお浄土へ一歩一歩と向かっているのです。「あるがままに生きる」ことは簡単なようで実に難しいものとなっています。

 「諸行無常」「諸法無我」、人に説くというよりも自分自身についての解決が問題となっています。

 蓮如上人の「我やさき 人やさき きょうともしらず あすともしらず」が耳に残ります。

 「生」に執着している毎日です。

合掌

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