無量寺
法話

喪服は白?黒?

常圓寺 井上敬信

 💚5月の法話💚 

2016年の4月2日まで放映されたNHKの朝の連続テレビ小説「あさが来た」にてヒロインの白岡あささんが白い喪服を着ているシーンが映されました。現在喪服というと黒というイメージですが、もともと喪服は白色でした。これはお釈迦様の亡くなられた時のことに起源があるように思います。

 お釈迦さまの最晩年の様子がえがかれているお経が『涅槃経』です。体調を崩されたお釈迦さまはインドのクシナガラの地で娑羅双樹の木の下で北向きに横になられます。北枕はよくないという話がありますが、これはお釈迦様が北向きに亡くなられたことから、仏教徒はその故事に因んで故人を北向きに寝かせるようになりました。そこから亡くなられた方と一緒の寝方をするのはよくないということでこのような言われ方をするようになりました。仏教は本来死をけがれとするのではなく、私も同じように亡くなっていく存在を自覚していくものですから、気にしないでいいことです。

 さていよいよお釈迦さまがお亡くなりになりますと、娑羅双樹が真っ白になって粉々にくだけちったと記されています。そこから仏式の葬儀には本来祭壇の左右に白もしくは銀色の紙の花をお供えし、供花も本来は白色にするようになりました。これは娑羅双樹を示します。お釈迦様が亡くなられて悲しみのあまり木までもが白く枯れてしまうほどの悲しみにつつまれていた。今この葬儀も悲しみのあまり色を失った世界にいる。それに集っている者も白を着て悲しみを表現したのであります。

 今葬儀も時代とともに変わっています。昔は喪主の挨拶はありませんでした。親族代表挨拶です。家族は悲しみの中にあって挨拶できる状態にない、喪主の代わりに親族の代表の方が挨拶するということが行われていました。また花祭壇ということで、色とりどりの美しい花に飾られた祭壇が多くなりました。「故人にふさわしい」「白色の祭壇はさびしい」という考えでのこととは思いますが、もともと白色の意味が失われていくことは悲しいことです。

 白の意味を共々に再発見させていただきたいと思います。

-浄土真宗の葬儀-

 最近は葬儀の事を「告別式」ということが多くなりました。「告」はつげる、「別」は別れですから、別れを告げる儀式。亡くなった方とお別れをするのが葬儀の意味と考えている方が多いのだと思います。もちろん大切なことでありますが、葬儀の一番の要は「新たなる出発をおたたえすること」であります。

喪主の挨拶に「生前のご厚情」と「生前」と言葉を使うと思います。生は生まれる、前はまえですから、生まれる前と私たちは考えもしないで使います。亡くなる前というように言葉を使うのではありません。死んで終わっていく人生ではなく、死を出発と見ていく人生観が浄土真宗の生き方の中にあったのです。

浄土真宗本願寺派 葬儀勤行集の葬場勤行の表白には

されどわれらがために大悲の誓願まします本願力に遇いぬれば 空しく遇ぐる人なくみ仏にいだかれて悉くかの仏国に到る

 阿弥陀如来が必ず救う、我にまかせよとのお誓いをたててくださったから、私たちは死んで終わりの人生ではなく、お浄土に生まれて佛になる人生を歩ませていただくのであります。別れの寂しさの中に仏さまとして亡くなっていかれた方に手を合わせ、また遇える世界を大切にしてきたのであります。

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