友人の十三回忌におもう
法光寺 隆康浩
💚2月の法話💚
今年友人の十三回忌を迎えます。
彼は高校の同級生で、大学もサークルも一緒、社会人になってからも交流が続き、よく一緒に趣味のスポーツ観戦に行きました。互いの結婚披露宴では友人代表でスピーチし合いましたし、家庭を持ってからも家族ぐるみの付き合いがありました。
親友でした。
しかし彼は学生時代に病気を発症。その病気が次第に重い症状へと変遷し、残念ながら四十歳で亡くなりました。
幾度となく入退院を繰り返しましたが、私もその時々彼が入院していた病院に見舞いに行っては、他愛もないことから真剣な相談まで色々な話を交わしました。
何十回行ったかわかりませんが、その中でいつも行き着く話題が二つありました。
一つは、「食べたいな」という話題。
彼は食べることが好きな人でしたが、内科の病気だったため食事に制限があり、特に闘病生活後半は殆ど流動食や点滴で栄養摂取していました。
「またあの店に行きたい」「皆と賑やかに食事したい」「お腹いっぱい好きなものを食べたい」とよく話していましたが、それを許すような病状ではありませんでした。
もう一つは、「家に帰りたいな」という話題。
「病院に一人でいると何もやる気が起きない。でも家に帰ると何でも頑張ろう!!って気持ちになるんだ。娘にも会いたいし家族でゆっくり過ごしたい」とよく言っていました。
当時彼には幼稚園の一人娘さんがいて、家族でディズニーランドに行きたいとねだられていたそうです。
なかなか実現できませんでしたが、ようやく季候も良くなった五月に、一泊二日の外泊許可をもらい、家族でディズニーランドとディズニーシーに出かけていきました。
その頃彼はもう自力では歩けず、家族に車椅子を押してもらってやっと行ったのですが、帰ってきてすぐ連絡がありました。
「行って良かった!楽しかった!娘も喜んでくれた!」「病気になってから思った所にもなかなか連れて行ってやれなかったけど、これで一つは娘の希望を叶えてあげられたかな」。久しぶりに彼の声がはずんでいました。
ただ何とか動けたのもその頃まででした。
それから目に見えて体力が徐々に落ちていき、会話も次第にままならなくなってきて、そしてついに七月半ばに亡くなりました。
亡くなってからすぐに、ご家族は彼を家に連れて帰りました。ずっと「家に帰りたい」と言っていましたので。
そしてその晩、彼の奥様からメールが届きました。短い一文でした。
「今日は久しぶりに家族三人、川の字になって寝ることができました」
涙が出ました。
「良かったね。大変だったけど、やっと家に帰れたね。やっと家族一緒になれたね」
そしてハッとさせられました。
その当時私も子どもが一人いて、毎日家族三人川の字になって寝ていたのですが、それが正直「嬉しい」とか「良かった」とか素直には思えませんでした。子育ては大変とか、一人になりたいとか、愚痴がこぼれるばかりで。
でも、そうじゃないんだなと気づかされる言葉でした。
食事をすること、飲み物を飲むこと、家にいること、出かけること、家族一緒に過ごすこと。当たり前のようなことですが、少なくとも彼と彼の家族にとって、当たり前ではないかけがえのないひとときだったはずです。
「当たり前のようなことも当たり前と思わずに、しっかり見つめて生きていこうね」
そう気づかされる思いがしました。
変わり続けて留まることがない、いつどのような変化が訪れるかわからない、そして限りのある時間を、全てのものは歩んでいます。彼もそう、私もそう、みんなそうです。
その中で、変化し続けて限りのあるこの人生だからこそ、かけがえのないひとときひとときを、何気ないひとつひとつを大切に見つめさせていただくのではないでしょうか。
目の前にいなくとも、すがた形は見えなくなっても、十二年経った今もずっと変わらず彼は仏様となってくださって、私を包んでくれています。心の中にいてくれています。
十三回忌を迎える今年も、あらためて彼のことを思い返すと同時に、彼を通して私自身がいのち見つめさせていただくご縁をいただくばかりと、味あわせていただくことであります。