往古天台宗にて開基学禅坊は、甲斐国、三光寺43代の事務則重の弟子で、承安の頃、山梨郡牛奥村の一宇を草創したことに始まる。
中興開闘といわれた永信は中原の里に住し、安貞2年親鸞聖人が聖徳大子の霊場等々力村の万福寺に入御の折、聖人のご教化を受けて弟子となった。
享保5年住職正道の代に本願寺より木仏御免、以後師資相承す。
先先代養蔵は、大正初期、開教の志から東京に真宗協会を創立。
昭和23年現在地に中原寺の寺基を移し今日に至る。
往古天台宗にて開基学禅坊は、甲斐国、三光寺43代の事務則重の弟子で、承安の頃、山梨郡牛奥村の一宇を草創したことに始まる。
中興開闘といわれた永信は中原の里に住し、安貞2年親鸞聖人が聖徳大子の霊場等々力村の万福寺に入御の折、聖人のご教化を受けて弟子となった。
享保5年住職正道の代に本願寺より木仏御免、以後師資相承す。
先先代養蔵は、大正初期、開教の志から東京に真宗協会を創立。
昭和23年現在地に中原寺の寺基を移し今日に至る。