元和丙辰2年岩代国会津二十四輩無為信寺十二世善照この地に来る。当時伊勢幾内紀州近江の各地より出漁行商に移住する者あまたあれど聞法の道場なきを憂う。善照此地に一宿せしことが縁となり、代官から境内の寄進を受け一宇を建立する運びとなる。
三代目善長の時転派す。
明治34年祝融に会い、本堂庫裡尽く灰燼に帰す。
昭和20年空爆にて太子堂倒壊、本堂外壁内陣の破損を受く。
昭和56年仮本堂は輪奐の美も失せしによって、鉄骨本堂を再建し今日に至る。
元和丙辰2年岩代国会津二十四輩無為信寺十二世善照この地に来る。当時伊勢幾内紀州近江の各地より出漁行商に移住する者あまたあれど聞法の道場なきを憂う。善照此地に一宿せしことが縁となり、代官から境内の寄進を受け一宇を建立する運びとなる。
三代目善長の時転派す。
明治34年祝融に会い、本堂庫裡尽く灰燼に帰す。
昭和20年空爆にて太子堂倒壊、本堂外壁内陣の破損を受く。
昭和56年仮本堂は輪奐の美も失せしによって、鉄骨本堂を再建し今日に至る。