2月法話「ユマニチュード」
本覚寺 小林暁雲
先月、京都のご本山・西本願寺の「御正忌報恩講」へお参りさせていただきました。
御正忌報恩講は、浄土真宗の宗祖・親鸞聖人のご命日法要で、毎年一月九日から十六日までお勤まりになります。全国各地、さらには海外からも多くの方がお参りに来られる大法要です。
このご法要に、七十八歳の母が
「あと何回行けるかわからないから、行く!」
と言うので、一緒にお参りすることにしました。
私の住んでいる千葉県鴨川市からは、高速バスと新幹線を乗り継いで行く、なかなかの大移動です。
コロナ流行前は、東京駅でも私より元気に歩いていた母が、新幹線の切符売り場を探して右往左往。
お気に入りのお弁当屋さんを探して、また右往左往。
その姿を見て思わず心配になった私は、
「見てくるから、ここにいてください。お願いですから、動かないでください」
と母に告げ、母の様子を気にしながら切符を買い、お弁当屋さんを探して忙しく動き回っていました。
するとそのとき、ふと思い出したのは、幼い頃の記憶でした。
「ここにいてね。動いてはだめよ」
そう言っていた母の声です。
幼い頃は、私が連れて行ってもらう側でした。
それがいつの間にか、私が母を連れて出かけるようになっていたことに、母の老いを強く感じた瞬間でした。
この旅の間、母は何度も
「あと何回お参りできるかしら」
と、しきりに口にしていました。
母だけでなく、私もまた、順調に歳を重ねています。
できていたことが、できなくなっていくことが増えた母に対して、つい声を荒らげてしまうこともあります。
怒りたくなくても強い言葉をかけてしまう自分を反省し、私の言葉に寂しそうな表情を浮かべる母の顔を見て、さらに自分に苛立ってしまう――。
互いに苦しい関係にある私たちです。
そんな中、たまたま見ていたテレビで「ユマニチュード」という介護技法を知りました。
ユマニチュード(Humanitude)は、フランスで開発された、「人間らしくある」ことを大切にする介護・看護のコミュニケーション技法であり、哲学です。
フランス語の「人間(Humanité)」と「態度(Attitude)」を組み合わせた言葉で、「大切に思っている」という気持ちを伝えるために、「見る・話す・触れる・立つ」という四つの柱を大切にしながら、やさしい関係を築き、介護を負担なく行う技術であると教えてもらいました。
たとえば、認知症の方は、これまで当たり前にしてきたことや、見てきたことを記憶することが難しくなり、すべてが「初めてすること」「初めて見ること」になってしまう場合があります。
介助する家族がそのことに気づかず、ついきつい言葉をかけてしまい、介助する側も、される側もパニックになってしまうことが、介護の現場では数多くあるそうです。
その方の立場に立って考えてみると、まったく知らない場所で、知らない人に怒られてしまう状況は、きっととても恐ろしいはずです。
その方の目線にまで自分の目線を下ろし、自分は味方であるということを、目と言葉で伝え、やさしく触れる。
すると、いつもは感情の起伏が激しくトラブルの多い方も、そのように接せられることで、嘘のように安心した表情で落ち着かれるのだそうです。
そして、寄り添いながら立ち上がれるように支える。
それがユマニチュードの技法で、今、多くの方が学び、実際に介護の現場で実践されています。
私たち人間は、それぞれ別々の命を生きています。
同じ地域で、同じ家で、同じように育ったとしても、別々の命、別々の心、別々の苦悩を抱えて生きています。
苦悩とは、頭と心で悩み、思いどおりにならない状態のことです。
私の体が変化していくように、その苦しみも刻々と変化していきます。
三十代の私には三十代の私なりの苦しみがあり、七十代の母には母なりの苦しみがあります。
けれども、その苦しみは、その人自身になってみなければ、同じように味わうことはできません。
そう考えると、私たちは、どれほど多くの人に囲まれていても、本当の意味では孤独なのかもしれません。
もしかしたら母も、わかってもらえない母なりの寂しさを抱えているのかもしれません。
その孤独をわかってもらえたとしたら、どれほどほっとすることでしょう。
私たち一人ひとりが抱える苦悩をどこまでも見抜き、
「決して一人にはしない。どうか、ともに背負わせてほしい」
と願い、私にかかりきりでいてくださっている仏さまが、阿弥陀仏であると聞かせていただきます。
何度背を向けても、決してあきらめず、私の目線に立ち、
「あなたを見捨てない」
と、南無阿弥陀仏という言葉の仏となって、私のいのちの上に、常に働いてくださっています。
通夜布教で、さまざまなご講師の先生方から、そのことをあらためて聞かせていただいた今回の御正忌報恩講は、私自身の姿を振り返る大切なご縁となりました。
阿弥陀さまが、私にユマニチュードでいてくださるからこそ、私もまた、少しでもその心で母に声をかけていけたらと思います。
