浄土真宗千葉組

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4月法話「『キングダム』を読みながら考えた」

4月法話「『キングダム』を読みながら考えた」

『キングダム』を読みながら考えた

 専念教会 阿形 雄三

 

一、はじめに

 『キングダム』という『週刊ヤングジャンプ』に連載され、現在単行本は四九冊を数えるマンガがあります。舞台は紀元前二四〇年代の中国、五百年続く戦乱を終わらせるため中華統一を志す秦国の嬴政えいせい(後の始皇帝、以下政)と、奴隷同然の境遇にありながら「史に名を残す天下の大将軍」になる夢を実現しょうとするしん。この二人を中心に物語は展開していきます。

 そんな『キングダム』の場面を紹介しつつ、少しお話をさせていただきます。

二、「人の持つ本質は―――光だ」

 三九巻の四二三話『天下の起源』から四〇巻の四二七話『決意の言葉』にかけて、秦国の実権を握る呂不韋りょふいと政が、天下、金と欲望、戦争等について語り合います。

 呂不韋が「戦争は紛れもない人の本質の表れ、人の世の営みの一部、その否定は人の否定、現実を受け入れて為政に挑まねば世は前進せぬ!」と主張するのに対し、政は「お前達は人の“本質”を大きく見誤っている」と指摘し、次のように続けます。

 「たしかに人は欲望におぼれ、あざむき、憎悪し殺す。凶暴性と醜悪さも人の持つ側面だ。だが決して本質ではない。その見誤りから争いがなくならぬものと思い込み、その中で最善を尽くそうとしているが、それは前進ではなく、人へのあきらめだ! そこに気付かぬが故に、この中華は五百年も戦争時代を続けている」

 では、人の本質とは何なのかと呂不韋に問われた政の答えが小題なのです。

 自身の経験、出会った人々に思いをせながら、「形や立場が違えど、皆一様に自分の中心にある“光”を必死に輝かせて死んでいった。そしてその光を次の者が受け継ぎ、さらに力強く光り輝かせるのだ。そうやって人はつながり、よりよい方向へ前進する。人が闇に落ちるのは己の光の有り様を見失うから。見つからず、もがき、苦しみ、悲劇が生まれる。その悲劇を増幅させ、人を闇へ落とす最大のものが戦争だ。だから戦争をこの世から無くす」と、決意を明らかにします。

 一方、仏教では“光”とは「真実」、親鸞聖人が「煩悩具足ぼんのうぐそく凡夫ぼんぶ火宅無常かたくむじょうの世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、まことあることなきに」とおおせの通り、私達は生まれた時から闇の中を生きています。

 生まれた時からそうだから、皆がそうだからと思い切り、不確かなものに確かであれと願うだけなら、それは「人へのあきらめ」になり、もし釋尊がそうだったら、仏教は存在しなかったでしょう。

 「法灯明、自灯明」と釋尊は仰せになりましたが、私には出うべき真実があり(法灯明)、その真実に出遇った私になる(自灯明)。親鸞聖人は先のお言葉の後に、「ただ念仏のみぞまことにておはします」とお続けになり、釋尊が明らかにされ、七高僧を中心とする多くの方々が受け継がれた「お念仏」こそが“光”ですよとお示しくださいました。

三、「“光”とは願い」

 四六巻の四九四話『地下牢の賢人』で、政の忠臣昌文君しょうぶんくんと、呂不韋の配下で当代屈指の法家李斯りしが、“法”について語り合います。

 「そもそも“法”とは何だ?」と李斯に問われた昌文君は、「法とは刑罰をもって人を律し治めるもの」と答えますが、李斯に「馬鹿な!刑罰とは手段であって法の正体ではない!」と一喝されます。

 「では…法とは何なのだ」という昌文君の問いに、李斯は次のように答えます。

 「“法”とは願い!国家がその国民に望む人間の在り方の理想を形にしたものだ!統一後、この全中華の人間にどうあって欲しいのか、どこに向かって欲しいのか、それをしっかりと思い描け!」と。

 一方、私が出遇うべき“法”とは、阿弥陀如来とその「願い」であると釋尊は仰せになりました。

 あらゆるいのちをご自身と等しい光り輝くいのちに成らしめ、真実の安楽を得さしめる。その「願い」は、そうなる気持ちも力もない私のようないのちこそが目当てなのです。

 そうすればその「願い」が実現できるのか、五劫ごこうというきわめて長い時間をかけて考え抜かれた阿弥陀如来は、ご自身が何を成すべきかを選び取られ、その実践に兆載永劫ちょうさいようごうというはかり知れない時間をかけられたと釋尊は教えてくださいました。

私のようなものを救うのは、それ程大変なこと、とんでもないことなのです。

 親鸞聖人は常々つねづね「弥陀の五劫思惟しゆいの願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人いちにんがためなりけり。されば、それほどの業をもちける身にてありけるをたすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」と仰せになられたそうですが、「同行二人」だよと語りかけていただているようで嬉しくなります。

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