法話

仏さんはついて来るけぇの 安心し

西光寺 吉弘一秀

5月の法話

阿弥陀如来は何故「阿弥陀」という名前なのでしょうか。

 その答えは、阿弥陀経というお経の中に記されています。「限りのないいのち、障りのない光の仏であるが故に阿弥陀という」と説かれています。無量のいのち、無量の光を古代インド語サンスクリット語でアミターといい、そのまま阿弥陀と漢字が当てはめられたのです。いつでもどこでもどんな時でもの仏様ということです。

 作家であり写真家でもある藤原信也氏の幼き頃の話です。

 戦後、親が門司での旅館業に失敗し、母と共に藤原少年は汽車に乗る。母と通路を挟んで座ると、隣の席に座っていたおじさんに、

「ぼく、どこに行きよるん?」

と聞かれると

「鉄輪(かんなわ)」

と答える。

「遠いいん?」

とさらに聞かれると

「知っちょらん、」

と答える。

「知らんとこにいくんかいね。」

とまたさらに聞かれると、

「家が無くなってしまったから・・・」

と答えると、しばらく沈黙の後におじさんが、

「家がのうなっても、仏さんはついて来るけぇの、安心し……」

といった。

 見知らぬおじさんの言葉に、支えられた藤原少年だったそうです。ただいまは、新型コロナで不安の日々を送る方も多いことでしょう。しかし、あなたが仏にならねば私は仏とならぬと誓われたのが阿弥陀如来です。いつでもどこでもどんな時でもその慈悲の光は届いています。その証拠が我が口からこぼれでる南無阿弥陀仏なのです。

 我称え 我聞くなれど 南無阿弥陀 必ずすくうの 弥陀のよび声

投稿者

saikohji@hb.tp1.jp

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