変わるもの、変わらないもの
法話

変わるもの、変わらないもの

 高林寺 菅原智之

 💚 4月の法話 💚 

お釈迦さま

 4月8日はお釈迦さまのお誕生日です。紀元前5世紀頃、古代インドの小国釈迦国にお生まれになったゴータマ・シッダールタ王子は、35歳でさとりの身となり、お釈迦さまと呼び慕われました。

 シッダールタ王子の出家。それは保証された身分や生活の全てを捨て去るということです。王子は、老・病・死という耐えがたい人生の苦しみは、「なぜ起こるのか」「どうしたら解決出来るのか」と、そのこと一つを求めたのでした。

 そして、その原因は、悪魔などの外来のものではなく、内から来るものであったことを見抜き、それを超えたさとりの境地、ブッダ(目覚めた方)となりました。

 さとりの内容の一つは、諸行無常(しょぎょうむじょう)です。それは変化し続けている私であることを意味します。

「お変わりありませんね」などと挨拶を交わすが、半年、あるいは一年ほど会わずにいれば、分子のレベルでは我々はすっかり入れ替わっていて、お変わりありまくりなのである。

 「生物と無生物のあいだ」講談社学術文庫 分子生物学者 福岡伸一著

 お釈迦さまは、最先端科学が究明した真実を、2500年も前に見抜かれていたのでした。

私という実体は…ない。

 さとりの内容の二つ目は、諸法無我(しょほうむが)です。それは、諸行無常であるが故に実体はないことを意味します。

 皆さんが自分の写真を一枚選ぶとしたら、違和感ない程度になるべく若いものを選びませんか。なぜならば最近の写真を見ると老けていると思うからではないでしょうか。確かにどちらも私自身に違いありません。

 私が思い浮かべる私は理想の姿。でも現実の姿も私そのもの。理想ばかりを求めることを迷いと言います。

 私たち生命体は、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい「淀み」でしかない。しかも、それは高速で入れ替わっている。この流れ自体が「生きている」ということ

著者本同上

まさに、老・病・死することが私そのもの、変わらぬ実体はないのです。

時空を超えて

さとりの内容の三つ目は、涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)です。それは、迷いの私を離れたところに安らかな境地があることを意味します。以上の3つを仏教の根本教説、三法印と言います。

御本尊阿弥陀如来は、お釈迦さまをさとりへと導かれた永遠なる仏さまです。お釈迦さまはその救いをお説きくださいました。それは時空を超え、今の私にはたらきかけるのです。

 生まれたものの定め、老・病・死、愛おしい方と死別する悲しみ。「理想通りでなければ生きている意味がない」と思い悩むことは誰でもあります。都合を満たそうとする、我が身可愛さという内なる煩悩に振りまわされる私。

 阿弥陀如来はその私を包んでくださいます。「あなたの命は変化するまま、あるがままに光り輝くのです」と。是非そのお心を法話を通じて聞かせていただきましょう。

合掌