法話

声のほとけさま、阿弥陀様

常圓寺 井上敬信

 💚3月の法話💚 


 立春を過ぎ梅が満開になり、菜の花が黄色の花を咲かせ始めました。春の気配を感じるようになりました。童謡『春が来た』はこのような歌詞です。


 春が来た 春が来た どこに来た
 山に来た  里に来た  野にも来た

 

目には見えない春の気配を山であり、街の片隅であり、野原の中に感じていくことを歌った詩であります。「春」は目に見えません。ですけれども、菜の花であったり、梅であったり、土筆であったり、花粉症であったり、水の温み、気温の温かさであったりいろいろなものから感じていったものを「春」とよんでいるのです。
 大学時代に一番悩んだことが「阿弥陀様は本当にいるのか」という問でした。阿弥陀様の声を聴いたことはありません。お姿を拝見したこともありません。お寺の本堂にいらっしゃるのは木造です。人工物です。大学の講義の中で阿弥陀様という仏様は法性法身 色もなく、形もない仏さまですよと教えられました。訳が分かりません。私が認識できないものをどうやって理解するのか。まるで神話のように感じていたのが大学の時でした。
 また方便法身とも ご本山からいただいたご本尊の裏書には方便法身尊形と書かれています。方便とは形となってあらわれてくださったということです。私の救済のために私が認識できるように現れてくださった仏様、そのお方を阿弥陀如来というのです。
 阿弥陀様は更に私にわかるように、私にあわせて南無阿弥陀仏になってくださいました。
蓮如上人は『蓮如上人御一代記聞書』の中で

他流には、名号よりは絵像、絵像よりは木像といふなり。当流には、木像よりは絵像、絵像よりは名号といふなり。

 ほかの御宗旨では本尊(信仰の対象)を南無阿弥陀仏の名号より絵の仏様、絵の仏様より木像の仏様の方が有難いといわれているが、浄土真宗は、木造より絵像、絵像よりも南無阿弥陀仏の方が有難く、本尊、信仰の対象ですよと言われました
 南無阿弥陀仏とは阿弥陀様が声の仏様となって一生あなたと共に生きていくと誓われた仏様そのものだからです。私の口から仏様が出てくださる。私はここにいるよ、あなたと共にいるよと常に共にいてくださるのです。
 阿弥陀様は南無阿弥陀仏の声の仏様、菜の花に春を感じるよに、私の口から出て来るお念仏そのままが阿弥陀様そのものなのです。大学でわからなかったことが、お寺に戻り、御本尊様にお給仕させていただく中で、今実感として感じさせていただいております。

合掌