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法話

自分を飾らない御法義

西方寺 西原大地

 💚8月の法話💚 

 浄土真宗のご本尊である阿弥陀さまは、私たちに一切の条件をつけず、お前を救う親はここにおる、そのまま浄土へ参ってこいと仰せくださるお慈悲の仏さまであります。この簡単明瞭なご法義でありますが、お経には「難信の法」(大変人には難しく信じられない教え)とあります。その理由は、お浄土へ参るものとしてこのようにあらねばならないという私のはからいが、この法を難信たらしめるのでしょう。

学生時代の笑い話です。

 当時、スウェットのパンツというものが学生の間で流行りました。

友人の一人が、その流行のスタイルをまとい高級ブランド店に入店しようとすると、「大変申し訳ございませんが、お客様の服装は当店にはふさわしくありませんので」と入店を拒否されるということがありました。

 学生の私たちからするとオシャレなスウェットパンツであっても、店員さんから見ればただのパジャマだったのかも知れません。

高級ブランド店に限らず、私たちはパーティや祝賀会などいたるところで「その場にふさわしい格好」という常識をもっています。

 親鸞聖人御在世の頃、この常識をご法義に持ち込み、悩やまれた一人のお弟子さんがおりました。

唯円房といいます。

ある時、唯円房はお師匠である親鸞聖人にたずねます。

「念仏する身になったけれども、踊りあがって喜ぶ心も湧かなければ、急いでお浄土へ参りたいという心も起こって参りません。これはどう考えればよいでしょうか。」と。

 つまり、高級ブランド店に入店するにはそれなりの格好でなければならないのと同じように、阿弥陀如来のお浄土へ往き生まれるためには、それなりの格好(心持ち)でなければならないと考えたのでしょう。

普通の宗教なら「お前の信仰心が足りないからだ」と一喝されてもおかしくない場面です。

対して、親鸞聖人はどのように答えたのか。

「私、親鸞も同じような疑問をもっておったのだよ。唯円房、お前もか。」と、弟子を叱るでもなく「私も同じ悩みをかかえるものである」と唯円房の問いに頷かれます。

 そして、喜ぶべきものを喜べないのは煩悩のせいであり、だからこそ、阿弥陀如来という仏さまは私たちに一切の条件をつけず、そのまま救うと立ち上がってくださったのだと唯円房に語りかけるのでした。この唯円房の問いをとおして、私たちに「格好つける必要はないぞ、そのまま来い」と仰せくださる如来さまのお慈悲を味わうところであります。