親さまの願い
常敬寺 深栖正経
「ご恩」という言葉を聞いて、なにを思い浮かべるでしょうか。一般的には「恩人」とか「恩師」というように、自分をはぐくみ育ててくださった人へのご恩のことと考えることが多いでしょう。
仏教ではこの「恩」について、各種の仏典に「四恩(四つの恩)」が示されています。『心地観経』という経典では「父母の恩・衆生の恩・国王の恩・三宝(仏法僧)の恩」があり、どの仏典にも共通するのが「父母の恩」です。 文字通り生まれてより長く成長を見守ってくれている両親への感謝の思い。その両親への感謝・孝行には3つの方法があります。
1つ目は
子どもの時に、病気や怪我をせずに健やかに成長すること。
2つ目は
子どもたちが成長してくると、今までは親に頼りっきりありましたが、それが自分自身でするようになる、できるようになってきます。しかしいくつになっても親に「伺い(うかがい)」をたてるということ。「伺い」をたてるということは、「敬う」ということです。今で言えば「ほうれんそう(報告・連絡・相談)」。会社では当たり前のことですが、親子関係になってくるとなかなかできないものです。しかしいくつになっても、自分でできると思っても、やりたいと思っても、親に「伺い」を立てること「報告・連絡・相談」が難しく、大切なことであります。
3つ目は
親が先に逝き、残された息子さん娘さんがよく言われます。「生きているときに親孝行したかった。してあげたかった」。しかし別れても離れてもできる親孝行があります。それは兄弟姉妹が仲良くすること。そして1人1人残された子供たちが幸せな人生を歩むこと。これが別れてもできる、離れてもできる、最大の親孝行なのです。
私には2人の娘がいますが、子どもたちが成長するにつれてこの私に色々なことをしてくれます。親として嬉しいことです。しかし親として一番嬉しいことは、親に色々としてくれることではなく、この子どもたちがよろこびのある人生を歩んでくれること、幸せな人生を歩んでくれることです。親である私のことよりも、子供のよろこびがそのまま親のよろこびになっていく、子供の幸せがそのまま親の幸せになっていくのです。
昔から浄土真宗では阿弥陀さまを「親さま」と親しみをこめてよびます。それはいつも自分の事しか考えていない私を、あきらめず見捨てることなく私の命にかかりきりになってご心配くださっていることをお敬いの念から真(まこと)の親としてお味わいされたお言葉です。
阿弥陀さまは迷いの真っ只中にいる私たち衆生を仏となる身にさせることに、正覚のいのちをおかけくださいました。それは仏様から向けられた願いにそむき、迷いの中にいることすら気づけない私であることをお見通しの上で、いただくだけのものとして全てをお仕上げくださいました。その願いを父母を慕うがごとくお聞かせいただいた時、阿弥陀さまより呼びかけられ、願い続けられている私であったことに気づかされ、お念仏を申させていただく日暮しが恵まれてくるのです。