華葩
法話

春はいろんな始まり

本覚寺 小林智美

 💚4月の法話💚 

4月は始まりの月になることが多いですね。

年度はじめを今月にしていたり、入学式があったり。

実は、つい少し前まで学生だったと思っていましたが、もう、随分前の事でありました。

先輩方の「1年が早い」をだんだんと理解し始めたことに、驚いています。

さて、桜の花が今年も咲き始めました。

今年の桜を見る気持ちは、いつもと違う思いでおります。

と言いますのも、最近とてもお世話になったおじちゃんがお浄土へ往生されました。

人として命がある以上、避けられないのは知ってはおりますし、私もいつかは参らせていただくとは聞かせていただいておりました。

しかし、いざ、この縁がやってくるとどうでしょう。身近であればあるほどに色んな感情が湧き起りました。正直、こんなに自分がうろたえるとは思っていなかったのですが、言葉で表せないほど涙がたくさん出ておりました。

浄土真宗の教義は「この世の縁が尽きるとき浄土に生まれて仏となり、迷いの世に還って人々を教化する」とありますので、おじちゃんはたった今、仏として活躍の真っ最中です。

しかし、それが私に直接見えていればよいのですが、見ること、触ることはできず、分からずにいます。

ご開山、親鸞聖人は正信偈の中で「大悲無倦常照我」と仰いました。

仏さまは「倦きことなく」常に私を照らして下さっている。「無倦」は、飽きてしまう「倦怠期」の倦ですから、「決してあきることなく、やめることなく」ということです。

たった今、おじちゃんは私にむけて光を照らしてくれている仏さまです。決して、「死んでお終い」でなく、私が煩悩に眼を覆われてわからなくても形を変えて仏さまとなって私に関わってくださっています。

春は、始まりの季節です。おじちゃんが仏となって初めて迎える春です。

ずっとずっと、お世話になり続けたおじちゃん、ここからまたお世話になってまいります。

大悲無倦常照我

おじちゃんがよく教えてくれた言葉でした。

親鸞聖人がお示しくださったこの言葉を通して、悲しみの別れだけではなかったのだと、改めて頂戴した次第です。  なもあみだぶつ。

コメント

2017-04-16 @ 9:03 AM

南无阿彌陀佛 なんまんだぶ



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