掲示伝道
法話

西の方遠くにまします御仏は 我が心にもまた居ますなり

真宗寺 柏倉学

 💚2月の法話💚 

「西の方遠くにまします御仏は我が心にもまた居ますなり」

山口県の圓正寺様から数年前に頂いたカレンダーのお言葉です。

この圓正寺様にHさんというご門徒さんがいらっしゃいました。

Hさんは嫁いできた時に、義母と義祖母から「家のこと畑のことはもちろんして貰いますが、うちは圓正寺の門徒です。お寺のご法座や婦人会の集まり等がある時には必ずお寺にお参りに行きなさい。これからはお仏壇のお仏飯の担当はあなたよ」と、H家の家訓として聞かされました。それから何を措いても圓正寺に足を運びお聴聞を重ねられ、阿弥陀さまが大好きになりお念仏を喜ばれる様になられました。

生活の中で女の子を授かり、育てていく中その子の手を引きながらのお寺参りを続けられましたが、だんだんと娘が大きくなっていくにつれ、娘は反抗期からか理由をつけてはお寺からどんどん足が遠のいていき、最後にはお寺参りお聴聞を喜ぶことなく、県外に嫁いでいかれました。嫁いだ後も、娘さんはお盆やお正月など実家に帰る度に「お寺にご挨拶に行こう。阿弥陀さまに御礼しに行こう」と言うお母さんのことを疎ましく思っていました。

Hさんは阿弥陀さまのお慈悲を、家訓を我が娘に伝えられなかった自分が情けなく、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。それから、少しでも阿弥陀さまのお慈悲を娘に残したいと思い、聞いたことや嬉しかったこと、有り難かったことなどをノートに書き残されました。そのノートは八十冊程になりました。その中、ご家族をお見送りし最後一人暮らしの中に亡くなられました。

娘さんは残された実家の家財道具を整理に来られ、お仏壇の横に置かれたお参りの経本入れや門徒式章・お念珠、横に積まれた八十冊ものノートの山を見られた。そして、お母さんがこのノートを何故書き残したのか、お母さんがどんな思いでお寺参りしていたのか、何を私に伝えたかったのかを知りたいと思い、お寺参りを始めお聴聞を重ねられました。今はお慈悲を喜ばれ、お念仏の日暮しをされる方になられました。

最初のお言葉はこのノートの中にあった一節であり、娘さんが喜ばれた言葉であります。

阿弥陀さまは西方十万億仏土の彼方、極楽浄土にいらっしゃるとお聞きかせ頂いている。けれども阿弥陀さまは遠くで私を待っている仏さまではなく、すでに私の元に届いていてくださり、今私の中に入り満ちて下さっている。いつでもご一緒の仏さま南無阿弥陀佛の仏さまとお聞かせ頂いている。

「お母さんは亡くなってどこか遠くに往ったのではなく、阿弥陀さまのお慈悲の中に摂めとられ、南無阿弥陀佛と今私と一緒にいてくださる。あんなに疎ましいと思っていたお母さんと今の方が会っている気がします。お母さん有り難う」今、先に往ったいのちと遇え世界、倶会一処のお心を喜ばれお念仏を味あわれています。