痛いの痛いのとんでいけー
法話

揺さぶられる私です。

本覚寺住職 小林則子

 💚12月の法話💚 

昨年の冬の事でした。大学受験を控えたお子さんの母親が血相変えてお墓参りに来ました。私は日頃の挨拶をしました。彼女は泡を吹く勢いでこの様な事を言いました。「息子が受験なんです。親はこれしか出来ないからこれだけに来ました。」と両手を顔の前ですり合わせる姿を見せました。私は「はー」というだけでした。すぐには意味が解らなかったのです。気になって彼女の後姿を見て居ました。手早く墓前を整えてしゃがみこんで手を合わせ、背中を丸めて祈る?おがむ?…とにかく一心不乱とはこのようなすがたを言うのかなとしばらく見つめていました。何を祈ったのか頼んだのか私には分かりません。折に触れては「加持祈祷や断食・茶絶ち等々しないのが浄土真宗ですよ」と伝えています。私の力不足を強く知らされた思いでした。

私が10代の頃、お説教にいらしたお坊さんが次のようなお話をされました。「高校野球に出てくる生徒は色々な宗門校からも出てきています。それらの神さま、仏さまがみーんな願いを聞いて約束を守ってくれたらどうなるか・・・そうです。甲子園球場は大混乱で決着もつきませんね。」その日の本堂は、皆「あ!」という表情、そしてお念仏の大合唱となりました。それから半世紀も時が経ち、忘れていた事でしたが、ふと、その事が鮮明に思い出されました。

何かにすがりたい母親のすがたは時として私のすがたでした。一心不乱の故その時はそれしか見えないのです。もしわが子が大病に侵されていたら浄土真宗の教えを聞いているからと落ち着いていられたでしょうか。何時の時代も色々な祈祷や占いに心を揺さぶられる私たちですが、阿弥陀さまはそんな私たちをとうにお見通しです。

仏さまに合格祈願や病気平癒をお願いしてしまうのは仏教の説く因果の道理からはずれています。

それでも目先の不安や不都合で心揺さぶられる私たちを阿弥陀さま側から大きな智慧とお慈悲のお心で願われているのです。