謹賀新年
法話

新しい年

真栄寺副住職 馬場弘道

 💚1月の法話💚 

明けましておめでとうございます。気づけば「平成」最後の新年、皆さまいかがでしょうお過ごしでしょうか。

毎年お正月を迎えると、思い浮かぶお言葉があります。

勧修寺の道徳、明応二年正月一日に御前へ参りたるに、
蓮如上人仰せられ候、「道徳はいくつになるぞ。」

(蓮如上人御一代記聞書)

明応二年(一四九三)の元日、蓮如上人が門弟の道徳さんに向かって語られたと伝えられています。弟子の道徳さんが、新年のご挨拶に蓮如上人を訪ねると、蓮如上人はいきなり、「道徳は何歳になったのだ、お念仏を申しなさい」と、お正月早々に厳しい言葉でおっしゃいました。

新年を迎えると、私たちは当たり前のように「おめでとう、おめでとう」とお祝いの言葉を述べます。昔は誕生日ではなく新たな年を迎えて一つ年を取る習慣でした。一つ年を重ねる中に、蓮如上人は、「何が本当にめでたく、歳を重ねるということはどういうことか」を問われているのです。つまり、新年を迎へ歳を重ねるということは、いよいよ「生の意味、死の意味」をしっかり考えなければならない時期であることをさとされているのです。また、「いくつになるぞ」とのお言葉は、新年を迎え、今年もこのままの状態で続きたいと願っている私たちに、「いつまでも同じではない。だからこそ今を大切にしなければならないぞ」という問いかけでもあります。

阿弥陀さまは今の私を、そのまま抱きとめて、決して捨てることはなく必ずお浄土へ導くと、おっしゃいました。そしてそのはたらきを、私たちのためにわかりやすく「南無阿弥陀仏」というお念仏にしてくださいました。

新年にはご家族がそろわれることと思います。新年の挨拶に「お念仏申そうね」と、ひとことそえていただけると有り難く思います。おめでたい時、嬉しい時も、阿弥陀さまはご一緒です。新たな年の始まりをお念仏とともに迎えることは何よりも大きな喜びであります。本年もお念仏申す日暮らしを送らせていただきまましょう。           

合掌