仏さまの姿
法話

仏さまの姿

真栄寺 馬場弘道

 💚10月の法話💚 

仏さまの姿には様々な形があり、それぞれに仏さまのおこころを顕しています。浄土真宗のご本尊は『阿弥陀如来』で木像のほかにも絵像、名号といって『南無阿弥陀仏』と書かれた掛け軸をおかけしている家庭もあります。

先日、茨城県にある牛久大仏で法事がありました。お伺いするといつも大きい仏さまというだけでなく。大空と共にあたたかく包んでくださいます。阿弥陀如来の大仏の高さは120m。ブロンズの立像では世界最大のようです。

ご門徒さんが大仏を眺めながらこのような会話をされていました。

「立ってるから大きいよね。鎌倉大仏みたいに座ればいいのに」

「鎌倉大仏も立ったら大きいんじゃない」と。誰しもが思う疑問です。

これには、それぞれに阿弥陀さまのお徳(はたらき)があり、お姿が違っています。座っている阿弥陀さまはおさとりそのものを顕しており、智慧の眼(まなこ)によって物事をあきらかに見つめ、平安で穏やかな境地を示しています。お立ち姿の阿弥陀さまは慈悲のはたらきを表しており、おさとりの姿から私を救おうと立ち上がれるお姿です。

座っているのは【大丈夫、ここにいるよ。ずっと待ってるよ】の仏さま。立っているのは【大丈夫、そこまでいくよ。あなたのところに】の仏さま。

ある仏教書のこのような例えがありました。

デパートに買い物に行ったときにちょっと目を離していたら、一緒に来ていた子どもが階段から少し落ちそうになっていました。その時、他人から見たら「危ないかも」と思うくらいでしょう。しかし、母親がそれを目にしたとたん「危ないっ」と叫ぶと同時に、その子どもに飛び込んでいきます。「子どもが落ちそうだなぁ」と思っているだけでは認識のところであって智慧ではありません。その子のもとに飛び込んでいく慈悲に展開して初めて智慧といえるのです、と。

仏さまのお姿は様々ですが、共に歩みあなたを救おうというおこころで繋がっているのかもしれません。合掌・礼拝と手を合わせる中で、そのお姿にあるおこころを味わわせていただきながら、ありがとうございます。と、報恩感謝の日々を共々に過ごさせていただきましょう。

       合掌