法話

妙好人 浅原才市さん ~角のある肖像画~

天真寺 西原龍哉

 💚11月の法話💚 

 大きな台風が九州・山陰地方を襲い、天真寺のふるさとのお寺がある島根県にも被害が出ておりましたので、浄円寺のことが心配になり“GO TO 島根!”。この機会にお参りに行ってまいりました。

 島根までは、まず新幹線で東京駅から広島駅まで4時間、広島駅からは車で山中を走ることさらに2時間、千葉を出発して7時間を経過し、やっと緑に囲まれた大自然の中にポツンとある浄円寺が見えてきます。所在地は、島根県邑智郡美郷町志君です。お寺から見渡す限り民家はなく、隣家までは数キロの道のりです。

最近まで島根と広島を結ぶ列車「三江線」が地域の移動手段として存在していましたが、これもとうとう平成30年に全線廃線となり、今後ますます過疎化が進んでしまいそうで心配です。

 お寺に足を踏み入れると、留守時にどうも小動物が入り込んでいる様子です。もう何十年も人が住んでいない無住寺院なので、外観や仏具なども劣化が進んでいるように見えます。しかし、ご本尊の阿弥陀さまは変わらず本堂中央にご安置されていました。そのお姿を拝見しやっとホッとできました。

 阿弥陀さまのお姿を横からうかがうと、前傾姿勢のお姿です。これは苦悩する私たちをご覧になり、いてもたってもいられず「今すぐお前のところにいくぞ」という阿弥陀さまの『摂取不捨のおこころ』をあらわしているのです。そのお姿に手を合わせながら、たとえ遠く離れていても、立ち続け、私たちを心配し続けてくださっている阿弥陀さまののおこころの中にあることを喜ばせていただきました。

 浄円寺をお参りした後は、「妙好人」の足跡を辿ってまいりました。島根県は浄土真宗の信仰の篤い地域であります。そこから「妙好人」という在家信者でありながら、清らかな白い蓮華のように真実のみ教えに目覚め、お念仏の生活を送られたお同行たちが多く生まれた歴史があります。

 そのお一人が、大田市温泉津町小浜の才市さんです。船大工や下駄職人としての仕事に励みながら、作業中にもいつも信仰のよろこびを歌っていました。才市さんの7千以上もある詩の中で特に有名なものが、才市さんがよくお参りしたお寺に石碑として残っています。

 『 かぜをひけば せきがでる

 才市が 御ほうぎの かぜをひいた

   念仏のせきが でるでる 』

風邪をひくと、ゴホンゴホンと咳が出ます。咳は私が出そうと思って出るものではなく、体内にあるウィルスを体外に出そうとして自然に出てきます。才市さんは、阿弥陀さまが「お前を見捨てることができない、お前を救うぞ」と私に至り届き、私の口から「南無阿弥陀仏」の念仏となって出てきてくださることを、『御法義の風邪をひいた』と例え、いつでも阿弥陀さまと一緒の毎日である自らの人生のよろこびをこの詩にあらわされました。

 また才市さんといえば、角のある肖像画で有名です。才市さんは口数が少なく目立たない方でしたが、熱心にお寺にお参りをし、お聴聞を重ねておられました。

 その姿をご覧になった町の有志の方々が、才市さんは尊いお同行だからぜひその姿を残そうと肖像画を描いてもらうことにしました。選ばれた絵師は地元小浜出身の日本画家で、東京では人物画を描く名人として活躍されていた若林春暁師でした

 しばらくして肖像画が完成し、才市さんに届けられました。すると才市さんは画を見て一言、「こんなのいらん」。なぜいらないのかと問うと、「わしの顔と違うからいらん」との返答です。人物画の名人に描いてもらった、本人そっくりの肖像画を前に、有志の方々は訳が分からずに途方にくれました。

 その後も、「どこが違うのか」と問い続けると、「わしの顔なら角があるはず。この絵には角がないではない」と言うのです。

 画師は才市さんの見たままの姿を描きましたが、才市さんにとってそれは本当の自分の姿ではなかったのです。ありのままの才市とは、阿弥陀さまの光に照らされた心の中に鬼を抱えている姿だったのです。

 阿弥陀さまに照らされた角の生えた鬼の姿こそが、自分の本当の姿であるといただいく才一さんの言葉に、とうとう肖像画も角のある姿に描きなおされ、才市さんは「これこそ私の姿じゃ」と言って受け取られたそうです。

 阿弥陀さまにお参りすることは、角を取り除いて仏さまになることのではなく、鬼の心があるままにお救いくださる阿弥陀さまのお心を喜ぶことであると、このお話を聞いて教えていただきました。

 阿弥陀さまに照らされた角の生えた鬼の姿こそが、自分の本当の姿であるといただいく才一さんの言葉に、とうとう肖像画も角のある姿に描きなおされ、才市さんは「これこそ私の姿じゃ」と言って受け取られたそうです。

 阿弥陀さまにお参りすることは、角を取り除いて仏さまになることのではなく、鬼の心があるままにお救いくださる阿弥陀さまのお心を喜ぶことであると、このお話を聞いて教えていただきました。