法話

正月は 冥土の旅の 一里塚

法光寺 隆康浩

💚 1月の法話 💚

 新年を迎え、2022(令和4)年となりました。
 ところで、「明けまして」って「おめでとうございます」…なのでしょうか!?
 皆さま、年賀状は書かれましたか?時代はどんどん変化しており、今や紙の年賀状のやり取りは減少の一途だそうで、LINEやSNSやメールでの挨拶だったり、もう何もしない、年賀状は卒業したという方もいらっしゃるかもしれません。
 ところで題名の言葉は、私が京都の仏教学院時代に当時同級生から送られてきた年賀状に書かれていた言葉です。殆どの人が新年を迎えた慶びの言葉を書いてある中、手書きの頭蓋骨の絵と併せて書かれていた彼からの年賀状だけが、ひどく異質異様に感じられたものです。「何も年賀状にこんなの書かなくても…」と思いつつ、この言葉は私の心に深く残りました。
 元々この言葉は、室町時代の僧一休宗純が書かれた「正月(門松)は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」という句の一節です。
 一休禅師は、正月に頭蓋骨を持ちながら街中を歩いたという逸話があります。昔は数え年ですから、正月を迎えることは今年もまた皆一歳年を重ねることができたという慶びでした。しかし一休禅師は、正月を迎え歳を重ねることは、確実に自らの死が一歩一歩近づく道標でもあると、世の無常をあえて説いたわけです。
 その意味で新年を迎えるということは、「おめでとう」でもあり「めでたくもない」とも言えるのでしょう。
 そしてまた、人間生まれた以上いつかこの人生終わる時を迎えなければならないのは必定ですが、それもいつどこでどのような形で訪れるのか、自分自身にも全くわからないことです。
 本願寺の第八代門主蓮如上人は、教えのお手紙『御文章(白骨章)』の中で「老少不定」と述べられています。年配の人であっても、若い人であっても、この人生に定まった一定の形などありません。いつどこでどんな変化を遂げていくのかわからない。だからこそ、続けて「後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、念仏申すべきものなり」と述べられ、この人生をしっかりと見据えながら、いつでもどこでもこの私を包み込み救い摂って下さる安心のお念仏の教えを、味わい聞かせていただく大切さをお伝え下さいました。
 冒頭の年賀状の後日談ですが、この年賀状を私に送ってくれた仏教学院の友人は、その翌年の春二十四才の若さで亡くなりました。その年の初めから病気で入院していたのですが、四月に入って私が見舞いに行き、病室で言葉を交わした五日後に、手術を受けましたが翌日亡くなりました。
 彼の葬儀の席でお父様が、入院中そして手術前の様子を聞かせて下さいました。彼は手術を受けるために食事制限をして体調を整えていたのですが、その中で好きな飲み物を毎日少しだけは飲めることをとても楽しみにしていたそうです。
 「息子は手術前にベッドから身体を起こして、愛用のコップに好きだった飲み物を入れ、『俺、手術を受けて、またここに戻って、この一杯飲めたら、本当に幸せだなぁ』と言って手術台に向かって行きました。向かって行ったけれども、もう一度目が開くことがありませんでした」と、残念そうに仰っておられました。
 それから三十年近く経ちますが、この時期が来ると彼からもらった年賀状のことを思い出しますし、彼が残してくれた最期の言葉を忘れることができません。
 飲み物を飲む、少なくとも今の日本の日常で当たり前の一コマです。でもこのいのち見つめさせていただく中に、そんな当たり前のようなことを彼はかけがえのないことと見つめていたのでしょう。
 私も彼が残してくれた言葉を胸に、姿形が見えなくなっても仏さまとなってこの私に働きかけてくださる言葉として、変化し続ける無常のいのち、限りのあるこの人生を見据えながら、当たり前のことを当たり前と思わずに、今年もみ教えを聞かせていただきながら歩んで行きたいと味あわせていただいております。