法話

龍王と盗賊と堪忍と

西光寺 吉弘一秀

💚 4月の法話 💚

4月8日はお釈迦がお生まれになった日です。花まつりとして行事を営む寺院さんもあります。
 お釈迦様が説かれた教えが記録として残り我々が普段目にするお経としてみることができます。お経となり、中国にわたり漢訳をされる中でこの我々の生きる世界を堪忍土(かんにんど)と訳されました。思うようにいかない事、苦労すること、困難なことを堪え忍ばなければならない世界と訳されたのです。他にもサンスクリットのSahaを音訳した娑婆ともいわれます。いずれも忍ぶという意味があります。
堪忍と同じ言葉の語源で忍辱(にんにく)という言い方があります。これは、悟りを開くための修行の一つとして定められています。怒りの心をおこさない行なのです。
 忍辱の難しさを思い知らされた話があります。お釈迦様の前世の物語の一つをご紹介させていただきます。
 

 お釈迦さまが、龍の王であったときの話です。龍王はあらゆる怒りの心を鎮めたいと考えておられました。
 或る時、龍王が眠りについていると、盗賊が現れました。盗賊が龍の姿を見て驚いたもののその輝きに目を奪われたのです。そして、龍の鱗を持ち帰れば、高く売ることができるだろうと考えました。
 盗賊は龍王を起こさないようにそっと近づき、刃物で鱗を切り始めました。痛みで龍王は目が覚めました。痛む個所を見ると盗賊が懸命に自分の鱗を切り取ろうとしています。
 龍王は思いました。
「今、自分が抵抗すれば、この盗賊は鱗をとることができないだろう。そうすれば、他にも迷惑をかけるかもしれない。私はこの盗賊に鱗を与えるが、忍辱を守り、仏として生まれ変わることができたならば、この者に仏法を与えよう」
自らの体に刃が入っても耐え忍び気付かぬふりをしたのです。
 盗賊が刃を入れたものですから、龍王の体から血が出てきました。すると、血の匂いに惹かれて虫たちが寄ってきました。虫たちは龍の血肉を吸い食べ始めました。その様子を龍王は、

「いま、耐え忍び、忍辱を守り、仏と生まれ変わったならば、この虫たちに血肉ではなく、仏法という食べ物を与えよう。」
と 龍王はひたすら忍辱を守り、そのまま命を閉じたのです。そして仏へと生まれ変わったのです。
  

 『菩薩本縁経龍品』に説かれる物語をご紹介させていただきました。
 私はこの話を目にしたときに、これほどまでに忍辱を守るということは難しい事なのか尊い事なのかと痛感させられました。これほどまでに、仏に成るということが、分厚いどころでははるかにすまされない壁なのか。
 その私に、阿弥陀如来は仏にさせるぞとお慈悲を届けてくださっておられます。今現在お届けくださっておられます。その証拠が、私の口からこぼれる南無阿弥陀仏の喚び声なのです。弥陀とともに、この堪忍土を歩ませていただきましょう。南無阿弥陀仏