法話

千葉組法話

天真寺 西原龍哉

💚 月の法話 💚

 先日、うっかりハザードランプをつけたままお参りに行き、バッテリーが上がっていました。自分の不注意に肩を落としたものの、仕方がありません。応急処置をしようとボンネットを開けましたが、なんと接続しようとしたバッテリーに「+」「-」の表示がなく繋ぎ方がわかりません。焦ったその時、ロードサービス会社で働く友人Aさんを思い出しました。連絡がつき電話で手取り足取り教えてもらうと、なんとかエンジンがかかってバッテリーが復活。やはり、プロは頼りになります。
 これは、Aさんに聞いた話です。ある吹雪の日、事故が多発してお客さんは12時間待ち。Aさんも休みなく走り回り、ある現場に到着しました。雪で横転した車のそばに、運転手のご年配の女性が待っていました。女性は怪我もなく、車の損傷もほとんどない状態でした。
 到着したAさんたちに、その女性は「どうか傷つけないようにお願いします」 と何度も声をかけてきます。Aさんは心の中で「こんな雪の中で無理を言うな」と少し煩わしく思いながらも、慎重に作業を進め、気の張り詰める一時間が過ぎました。車は元に戻り、女性は涙ながらにお礼を言って喜んでくれました。しかし、Aさんは疲れもあって「相当車好きなのか、大変なお客さまだったなぁ」と思いながら、慌ただしくそのその現場を後にしました。
 翌日、仕事場に行くと一通の封筒を渡されました。それは、昨日の女性からの手紙でした。「昨日は無理を言ってごめんなさい。あの車は車好きだった亡き夫が残してくれたもので、思い出がいっぱいつまっているのです。雪の中で作業いただき本当にありがとうございました」と書かれていました。Aさんは手紙を読んではじめて、女性の気持ちが理解できました。
 昨日の行いを振り返ると、女性は車を大切に見守り、傷つけないようにと何度も声をかけていました。そして、作業を終えると涙ながら喜んでくれていました。なのに、疲れて早く仕事を終えたいという自己中心的な思いで、相手に大して注意も払わず、むしろ我儘な要求だと少し煩わしく思っていた自分がいました。
 もし、もう少し相手の言葉を聞こうとしていたら、女性の思いに気づけていたかもしれません。Aさんはこの時の反省を忘れないようにと、今でもその手紙を大切に持っているそうです。
 浄土真宗のみ教えは、「ただ念仏」の教えです。しかし、そう聞かせていただいても、私の心は自己中心の色眼鏡で曇って、自分の欲望を満たしたいという煩悩から離れることができません。すべてを自分に都合のよいように見て、真実に気づこうともしないのです。
 しかし、み教えを疑いない心で聞くと、お念仏は私の行為ではなく、私を喚び続けてくださっている仏さまの慈しみのお心と知らされます。仏さまの真のお心が、お念仏として私の口から出てくださるものであったのだと気づかせていただいた時、私の世界は大きく変わりました。自分中心で真実から目をそらし続けていた私に、阿弥陀如来は、あなたを救いたいという願いのすべてをお念仏に込め、そして届けてくださっていたのです。私は決して自分の力だけで生きているのではなく、多くのお育てをいただき、阿弥陀如来の大きな願いの中で生かされていたのだということに気づかされます。自己中心的な思いにとらわれていたそれまでの私には見えなかった世界です。
 Aさんも、もし雪の事故の時、心を開いて女性の気持ちにもう少し思いを巡らせていたら、彼女の思いを受け止めてより前向きに向かい合うことができたでしょう。また、その方の感謝の言葉も素直に受け取れ、お互いもっと温かな気持ちになれたことでしょう。
 疑いなくお念仏をいただき、感謝の気持ちで仏さまの真のお心を通して見る世界は、大きく温かいものです。この慈しみのお心に出遇えた身のしあわせを思うと、今の喜びを一人でも多くの方に伝え、分かち合いたいと願うのです。