法話

また会う世界

照光寺 坊守 脇本あづさ 文責 脇本正範 

💚 6月の法話 💚

 そこに お母さんの姿があった。大好きなお母さん。姿が見えた時、わたしは 何度も何度も お母さんの姿に「おかあさん」と呼びかけた。嬉しくて嬉しくて 何度も「おかあさん」と呼んだ。
 お母さんは帰ってきた。7年ぶりにいっしょに生活することができる。今日からは病院に行かなくてもいい。寝るときも いつもいっしょだ。
 幼稚園の年長さんのときに 交通事故にあった。お父さんが運転する車には お祖母ちゃん、お父さん、お母さん、お兄ちゃんと私が乗っていた。大きな交通事故だった。崖から転落した時、お父さんは即死。みんな瀕死の状態だ。病院のベッドで目が覚めた時、誰もいなかった。お父さんとお母さんはどこだろう。鼻から取るチューブの栄養はおいしいし 看護婦さんはみんなやさしい。病院はいいとこだ。
 お爺さんとお婆さんが迎えに来てくれて 親戚の家に預けられた。嫌われないように いい子でいないと追い出されちゃう。いつも一人で遊んだ。親戚の人はやさしかったけれど お母さんがいないからさみしかった。
 ある日、お爺さんが「お母さんは 岡山のリハビリセンターに入院しとる。しばらくは帰ってこられん」と教えてくれた。あの日の事故 私とおばあちゃんは軽傷だった。お母さんは 頸椎を骨折して半身マヒ。車いすの生活になった。お兄ちゃんも 自立歩行はできるけれど マヒが残った。
 岡山のリハビリセンターからお母さんが帰ってきたとき 私は中学一年生になっていた。お母さんと一緒に生活することを夢見ていた。同じ屋根の下で生活できることがわかったときは 嬉しくて仕方がなかった。もう「さみしくない」。
 お母さんが一緒にいるから 学校でいじめられても くやしくなかった。全てをお母さんが聞いてくれたからだ。それからずっと 何かあれば 何でもお母さんに話しを聞いてもらった。お母さんは わたしの話しを聞くのが 一番楽しそうだった。きっとお母さんも 嬉しくてたまらなかったのだ。
 お母さんがそこにいるだけでうれしい
 そんなお母さんが 白血病で死んだ。わたしは 悲しみのどん底に落ちて立ち直れなかった。何をしても悲しい。
誰に何を言われても むなしくさみしいだけで 元気がでない。これではダメだと強がっても 生きている意味を見つけられないほど 悲嘆に暮れた。
 お坊さんが わたしに毎日「あなたのお父さん、お母さんは いつでもどこでも いっしょにいる」と言い続けてくれた。理解できないから その人に暴言を吐いた。それでも そのお坊さんは「いつでもいっしょ」と言い続けてくれた。お母さんの七回忌を迎えるために 故郷のお祖母ちゃんから電話がかかってきた。「我が娘のことだから 私が生きている間は 年忌をつとめてあげたい」その電話を切ったとき ふいにわかった。
 お母さんは ずっとここにいたのだ。
 嬉しくて仕方なくて 何度もお母さんと呼んだあの日。お母さんはどこか遠くに行ったのではない。お母さんは ずっと呼んでいてくれたのだ。「ここにいるよ。わたしはそばにいるよ。心配するな」と。お母さんは 南無阿弥陀仏になったのだ。
 涙があふれ 八つ当たりばかりしていたあのお坊さんに「ずっと 父と母がわたしといっしょにいてくれると言い続けてくれてありがとうございました」と言った。
 南無阿弥陀仏を称え 信じる心を恵まれた人は 信心の行者というそうだ。どんな人生であっても 必ず仏さまになることができる教えです。わたしは いつでもどこでもいっしょの仏様という言葉を 素直に受け取った時に 助かりました。それと同時に お浄土で再会できると聞いています 楽しみです。
 阿弥陀さまの呼び声が聞こえたら 助かります。そのことばに お任せするだけでした。聞こえたら 生きていけます。この一瞬に助かる教えが 浄土真宗です。