法話

無自覚の私

龍昌寺 石塚龍悠

💚 月の法話  💚

先日、国会議員が誹謗中傷ツイートに複数回にわたって「いいね」を押したことが、名誉毀損にあたるかどうかが争われた裁判の、2審での判決が下されました。
東京高等裁判所は「名誉感情の侵害にあたる」という判断を示し、国会議員に賠償を命じたようです。
国会議員側は今後の対応を検討中とのことなので、この件の是非については発言を控えさせていただきますが、SNS上の投稿にクッリクを数回押す行為で、個人の尊厳の問題が争われる時代になったのかと驚愕しています。

ツイッターでは、自分と同じ価値観をもつ人たちと繋がって情報を共有しやすい環境にあります。しかし一方で、なにか自分が気に食わない意見を目にしたとき、あるいはその気に食わない意見を攻撃しているツイートを見た時。SNS上では同じ価値観をもった仲間がたくさんいますから、まわりの反応を見まわして「やっぱり自分以外にもそう思っている人が多いんだ。この感覚は正常なことなんだ」と安心感を得て、自分を納得させてしまいがちです。

私にとって不都合なことは悪いことで異常なこと。私にとって共感できることは良いことで正常なこと。自分たちの信じたい情報だけを集めてしまうと、知らず知らずのうちに凝り固まった状態に陥ってしまうのは、インターネットの発達した現代の病と言えます。

親鸞聖人は「正像末和讃」に
 無慚(むざん)無愧(むぎ)のこの身にて まことのこころはなけれども
 弥陀の回向(えこう)の御名(みな)なれば 功徳は十方にみちたまふ

 (『註釈版聖典』617ページ)
 罪を恥じる心がないこの身には、まことの心などないけれども、
 阿弥陀仏があらゆるものに回向してくださる名号であるから、
 その功徳はすべての世界に満ちわたっている

 (『三帖和讃(現代語版)』)
とお示しになっています。
罪を罪とも思わない、自分を正当化することに無自覚な私にたいして、阿弥陀さまはそのことを見抜いてくださいます。そして、そのおはたらきによって私を通して、南無阿弥陀仏のお念仏となってあらわれているのです。

合掌

写真は 東京国立博物館東洋館にて2022年12月4日まで開催の「創立150年記念特集 再発見!大谷探検隊とたどる古代裂の旅」に展示中の『垂飾平絹綾夾纈羅裂縫い合わせ』です