法話

露のいのちが輝いている

宗真寺 石川慶子

💚 1月の法話  💚

 大分昔の話をさせていただきましょう。

まだ家庭にテレビなどなかった、私の幼いころの思い出です。子どもたちは夕食の後、茶の間でそれぞれに本を読んだり宿題をやったり……。

 ある晩、父が小さな黒板を前に子どもたちを座らせ、何と“宇宙”の講義をしたのです。もう70年近い前のこと。幼かったこともあり細部はすっかり忘却のかなたです。だけど私は、子どもたちに語り聞かせずにおれなかった父の、“宇宙の不思議”に抱いた感動と畏怖の思いを胸に深く受け止めたのでした。

 父は僧侶でした。宇宙の知識なんてたった一冊の「宇宙入門」風の新書版を読んだに過ぎないことを大人になれば分かるのです。だからこの思い出はずっと頭の隅にしまいこまれてしまいました。

私も僧侶になりました。「帰命無量寿如来、南無不可思議光」に出逢いました。そう「正信偈」です。毎朝一番にこの2句を大きな声で歌います。“無量寿、不可思議”———そうとしか言い表せないものが私の中を貫いているという感覚を覚えるのです。

 そしてふと幼い時のあの父の“講義”を思い出しました。

 父は黒板の左下に小さな○を描き、その反対側右上の角にさらに小さな・をつけました。○は私たちのいる地球です。そして・は夜空のかなたに見える星。「この・は○よりも何倍も大きくて太陽のように燃え盛っている。○と・の距離は何億光年なんだゾ。光年というのはナ、1秒間に地球を7周半もするスピードで進む光が、何億年もかかって届く距離なんだ。

どれほど遠いか!それにそんな星が宇宙には無数にあるのだ!どれほど大きいか!!私は身の震えるような驚きで聞いたのでした。

 私の宇宙学の知識は、あの幼い頃の“講義”から少しも進んでいません。ただあの時の驚きが「無量、無辺」という言葉をそのままいただける土台になっていると思うのです。

 法蔵(ほうぞう)菩薩(ぼさつ)が“五劫(ごこう)”という気の遠くなるような時間をかけて、あらゆる衆生を苦悩の闇の底から救い()るというとてつもない願いをたて、その手だてを完成されたというお話もそのままに受け止められるのです。「劫」というのは、4年に一度天女が舞い降りてその薄い羽衣で4里立方の大きな岩にふれ、くり返される摩擦で岩が削られてついになくなってしまうまでの時間! なんて素敵な悠久の時間の表現でしょう。しかもその岩が5つも消えるのですから。

 地球の歴史はたった46億年だそうです。

生命の歴史は36億年、人間の歴史は猿人時代をいれても500万年に過ぎない———というような理屈ではないのです。

 36億年の生命の歴史が途絶えることなく続いていたから今、いのちが私に届いている。しかも、はかり知れない多くのいのちに支えられてここにあらしめられている。“わたくしという具体”を生きている。草の葉にたまった水がぽとりと落ちるほどの露の間を生きる、けし粒ほどに小さな小さなわたくしですが、この具体の存在の背景は「無量」なのです。「無辺」なのです。

 思えば人として生まれ、生き、間もなくいつ、どのようにか知れず死んでいく、その私のいのちの過程すべて、自分の意志や努力でなされたわけではありませんから、わがものではないこのいのちの問題は自分で解決できないのです。「無量」「無辺」におまかせ。私の生老病死はすっぽりと無量無辺のはたらきの中に納まっているのですね。

 この「無量、無辺」、つまりはかり知れない、はてしない、という意味がそのまま阿弥陀という仏様の名前となりました。五劫という、あの様にしか言い表しようのない時間を費やして、生きとし生きるものをあまねく救うという願いを完成され「阿弥陀仏」と名告(なの)られたのです。無量寿、無量光というはたらきになられたのです。

 「無量、無辺」を私の側からいえば、「いつでも、どこでも」です。仏教と無縁に生きていた若いころのおそまつな私も、阿弥陀仏の願いに包まれていたとは! これから先何もかも忘れてしまう老いの境地に至っても、やっぱり願いの中。いつでもどこでもを「今、ここ、このわたくし」と受けとめるばかりです。

 光寿無量の中に新しい年を迎えることができました。これは本当にお互いおめでとう、と言わなければなりません。

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