詩人ウォルト・ホイットマン氏
法話

阿弥陀さまのあたたかさ

純心寺 曽我弘章

 💚3月の法話💚 

 愛しいものとの別れ、怨憎の人間関係、限りない欲望、貴賤貧富。孤独感、罪悪感。そして、老い、病、死・・・・・。
 「苦しみは、どうすれば消してなくすことができるのか」という問いに、「苦しみの原因を断ち切って、善い心を保ち、善い行いをし、自らの力で頑張りなさい」と教えられても、頑張れば頑張るほど自分の思い通りにいかない結果に打ちのめされ、反対に心が萎縮していくのが私たちです。

 私たちは、自己中心に物事を見ながら幸せを求めます。しかし、自分の思いどおりにならない現実に直面しては苦悩します。自分の力を頼りに生きていくということが、いかにむずかしいかを思わずにはいられません。

 『寒さにふるえた者ほど、太陽のあたたかさを感じる。人生の悩みをくぐった者ほど、いのちの尊さを知る』という詩人ウォルト・ホイットマン氏の言葉があります。
 罪の意識が強く悩み多い者ほど、「あなたのことは、私が一番わかっています。あなたはあなたのままでよいのです。大丈夫、私が助けます」と仰せられる阿弥陀さま(阿弥陀如来)の思い、あたたかなお心に気づくようです。

 ミッキー・マウスの産みの親で世界中の子どもに夢を与えたアメリカのアニメーション映画制作者ウォールト・ディズニー氏が、『ディズニーランド』を作り上げたときに、「この世の人の心に想像力がある限り、このディズニーランドは永遠に完成することはなく成長し続ける」と語りました。あれほど手のゆき届いたテーマパーク『ディズニーランド』は永遠に未完成のままだというのです。
 この話は、「私たちは苦しみから逃れられないこと、未完成であること、それは負ではなく自然なことなのだ」と認識するたとえのような気がします。

 親鸞聖人は、「煩悩にまなこさへられて 摂取の光明みざれども 大悲ものうきことなくて つねにわが身をてらすなり(私たちは煩悩に眼がおおわれているため、救い取ってくださる阿弥陀さまのお働きの姿を見ることができませんが、阿弥陀さまは少しもおこたることなく、常に私を案じて照らしてくださっています)【高僧和讃】」と仰せられます。

 圓日成道師は、『仏さまの言葉は、「まぁゆっくりしておいで、そのままでいいんだよ」と聞こえてくる。するとその人は、元気が出てきて、「よーし」と、さらに歩みをはじめるのでしょうね』と申されます。

 未完成で生きる煩悩まみれの私ゆえに、「あなたのことは、私が一番わかっています。あなたはあなたのままでよいのです。大丈夫、私が助けます」というお心に、あたたかな光を感じます。

称名