御恩を思うのはすべて後から
法話

11月法話 御恩を思うのはすべて後から

【御恩を思うのはすべて後から】

中原寺 平野俊興

  

 最近読んだ「心に響く小さな五つの物語」(致知出版社)の中で、作家・西村滋さんの少年期の話を紹介します。

 

 『少年は両親の愛情をいっぱいに受けて育てられた。殊に母親の愛情は近所の評判になるほどだった。その母親が姿を消した。庭に造られた粗末な離れ。そこに籠ったのである。結核を病んだのだった。近寄るなと周りは注意したが、母恋しさに少年は離れに近寄らずにはいられなかった。

  しかし、母親は一変していた。少年を見ると、ありったけの罵声を浴びせた。コップ、お盆、手鏡と手当たり次第に投げつける。青ざめた顔。長く乱れた髪。荒れ狂う姿は鬼だった。

  少年は次第に母を憎悪するようになった。悲しみに彩られた憎悪だった。

少年6歳の誕生日に母は逝った。“お母さんにお花を”と勧める家政婦のオバサンに、少年は全身で逆らい、決して柩の中を見ようとはしなかった。

  少年が9歳になって程なく、父が亡くなった。やはり結核だった。その頃から少年の家出が始まる。公園やお寺が寝場所だった。公衆電話のボックスで体を二つ折りにして寝たこともある。そのたびに警察に保護された。それからの少年は施設を転々とするようになる。

  13歳の時だった。少年は知多半島の少年院にいた。もういっぱしの“札付き”だった。ある日、少年に奇蹟の面会者が現れた。泣いて少年に柩の中の母を見せようとしたあの家政婦のオバサンだった。

  オバサンはなぜ母が鬼になったのかを話した。死の床で母はオバサンに言ったのだ。私はまもなく死にます。あの子は母親を失うのです。幼い子が母と別れて悲しむのは、優しく愛された記憶があるからです。憎らしい母なら死んでも悲しまないでしょう。あの子が新しいお母さんに可愛がってもらうためには、死んだ母親なんか憎ませておいたほうがいいのです。そのほうがあの子は幸せになれるのです。

  オバサンは、母からは20歳になるまではと口止めされていたそうですが、そのオバサンも胃がんを患い、生きているうちに“本当のことを伝えておきたい”と、この話をしてくれたんです。

   少年は話を聞いて呆然とした。自分はこんなに愛されていたのか。涙がとめどもなくこぼれ落ちた。札付きが立ち直ったのはそれからである。』

 

 近頃、「御恩」とか「感謝」いう言葉は抵抗をもって受け取られがちです。

最も報恩講を大切にされた蓮如上人の「御文章」にも明らかなように、「ご恩を知らざる者はまことに木石に異ならんものか。」(3帖目11通)と厳しくいましめられています。木や石は喜怒哀楽がありませんから人間ではないということです。

 私たちはいつも自分のはからいが中心ですから眼に見えるものだけを追い求めています。思い通りになることには幸せを感じ、思い通りにならないことを不幸と感じます。はからいが強ければ強いほど私自身のそうした姿に気づくことはできません。

 西村滋さんが少年期に母の存在を否定し、すべてが思い通りにならずに自暴自棄になったのも、母親の表面の部分だけを見、深い心の内の部分が見えていなかったからではないでしょうか。

西村さんが教えてくれるのは、それがそのまま私の生き方であります。

思い通りになっているときに感謝をするのなら誰にでもできます。逆境が「真実」に出遇えさせてくれたといただくところに人生の深みを増していきます。

  

あらゆるいのちあるものを必ず救いたいとの願いが成就した阿弥陀さまの名告りが「南無阿弥陀仏」です。

 すべては先手の救いであったと気づいたときに、おのずと御恩は感じられるのです。 

コメント

最誓寺 堀田了正
2014-12-02 @ 12:22 PM

中原寺 平野俊興 様
千葉組のホームページいつも楽しみに開いています。
11月の法話、心に染みる内容でした。ご紹介された本早速求めて読みたいと思います。また、法話会でも紹介したいと思います。ありがとうございました。 合掌



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