法話

また会う世界

真宗寺 柏倉学法

 💚 7月の法話 💚 

 お盆が近くなると、自宅参りやお墓参りのご予定を考えられる方が多くなるのではないでしょうか。お盆に関しての荘厳(お仏壇のお飾り)や亡き方はどこに居るのかと訪ねられることもあります。
 数年前のご法事でのことを思い出します。
 お父さんの法事を勤める時に、四十代の娘さんが過去帳をパラパラとめくりながら「この人は誰?この人は?」と七十代のお母さんに矢継ぎ早に質問していました。最初は丁寧に説明していましたが、途中から「解らない。忘れたわ」とはぐらかしていましたが、娘さんの「この三歳の男の子は?私の産まれる少し前じゃない。」この問いに言葉が詰まりました…ご法事後、お母さんは過去帳を見返しながら当時のことをお話しくださいました。
『実は、あなたにはお兄ちゃんがいたのだけど三歳の時に亡くなってしまったの。苦しくて辛くて何も手につかなくて、いつもあの子のことばかり考えていた。お母さんお母さんと呼ぶあの子の声を聴きたい。夢でも良いからお化けでも良いから一目会いたい。いつも泣いていると、義母から「あの子に会いたいならお寺に行きなさい。会えるまで何度もご法座に通いなさい」と言われて、藁にもすがる思いでお寺の法座に通った。けれども何度法座に通ってもあの子に会えることはなかったし「お浄土があるよ。すでに南無阿弥陀仏が届いているよ。お救いの中に抱かれているよ。」そんな法話を聞いても良く解らないことばかりだった。悲しみが癒えることもなく、むしろ会いたい想いは募るばかりだった。 
それから娘が産まれてからもずっと法座に通い続けた。ある時、本堂で走り回る娘を追いかけて、膝の上に抱きながら後ろから娘の両手を私の手で包み込み「お母さんと一緒にお参りしようね。のんのんしようね」と言った自分の言葉にふっと気づかされました。この子の手は私の手の中に包まれているのだな。そうか。すでに私も阿弥陀さまの手の中に。ならば、先に往ったあの子もこの子も私も、みんな阿弥陀さまの大きな御手の中に包まれているのだ。会いたい会いたいと想い続けてきたあの子はいつも私と一緒でした』
 そう涙を浮かべながら大切にお話し下さいました。
 俱会一処。阿弥陀様のお救いの中に同じ浄土でまた会う世界があるとお聞かせ頂く中に、すでに先に往かれた方と今会う世界を南無阿弥陀仏のおはたらきの中に、大きな御手の中にお聞かせ頂くご法縁となりました。
 お盆のご縁に触れる中に、先に往かれた方がどこにいったのか、何になったのかを訪ね、私の後生の一大事を阿弥陀様のお救いに改めてお聞かせ頂くことであります