法話

仏になることがいま決まる

照光寺 脇本正範

 💚 11月の法話 💚 

 浄土浄土真宗のお寺に一度も行ったことがない。南無阿弥陀仏を一度も称えたことがない。そのような人は仏になりません。なぜ浄土真宗のお寺があるのでしょう。それは南無阿弥陀仏のおいわれを聞くためです。仏になることが決まる。それ以上のことはありません。何も難しいことはなくとても簡単なことです。浄土真宗のお寺に行って南無阿弥陀仏を称えるわたしになれば仏になることがいま決まります。仏になる時は死ぬときです。死んだあとに救われるおしえではありません。それがわかれば助かります。

 死んだら仏になるのだからやっぱり死んだ後の救いではないかと思うのが普通です。死んだら仏になるということばの「死んだら」が邪魔です。いま仏になることが決まる。それがおたすけです。

 誰でも死ぬのはいや。当たり前のことです。私も死にたくありません。老いるのもいや。病気になるのもいやです。苦しみたくありません。

 老いないように、病気にならないように、死なないように、なるべく健康でいられるようにとサプリメントもたくさん飲みました。無駄です。どれほど努力しても老いを止めることはできません。病気にもなります。

 わたしは死ぬのです。避けることができません。何のために生きているのでしょう。バカなんじゃないかしらと思ったこともあります。毎日毎日、死なないように死なないようにと心配しながら生きています。そのようなことを心配するために生まれてきたのでしょうか。死んだらおしまいだから生きている間に楽しいことをしこたま体験しておかなくちゃ。そのようなことを思いながら仕事をしています。なぜ仕事をするのでしょうか。お金を稼がないと衣食住を維持できないから。単純な理由ですがそれだけでは生きていけないみたいです。ごはんを食べないと死にます。だから嫌なことがあってもどんなに理不尽なことを言われても我慢して仕事をしなければいけないとどこかであきらめたりしています。

 そんな私がついこの間死にかけました。病院に行ったらお医者様から「あなたこのままだと死にます」と真顔で言われました。これで人生終わりかしらと思ったら情けなくてつらくって誰にもわかってもらえないから五体投地してみました。何も起りません。

 もうやぶれかぶれです。地獄も極楽もどっちでもいいや。今までさんざん聞いてきた。それ聞いてない証拠です。阿弥陀様の言葉、まったく聞いてないの。聞こえてないからたすかりません。自分の頭で考えて阿弥陀様にまかせてないからです。

 南無阿弥陀仏と称え法話を聞いていたら、ふとお前は死なない、仏さまになるぞと聞こえてきます。心配するな、お前は仏になるぞと聞こえてきます。わたしはこんど仏になります。助かりました。

 死ぬこと解決したら安心して生きていけます。とてもしあわせです。お浄土の光を浴びるのはいまです。浄土真宗ってありがたい。そのようになります。死ぬことと生きることの問題が解決したら助かります。それはいまです。浄土真宗のお寺に行かないとそうなりません。何もしないと何もしないままなので何もわからないまま死にます。それだけです。死んだくらいでは仏になりません。それがわかれば助かります。信じる心が仏になります。信じない心はいつまでも仏になりません。滅びるものは真理ではないから助けにならない。阿弥陀様の言葉を直々聞いたら助かります。いま仏になることが決まります。それが聞こえたらあの人の口からもこの人の口からも阿弥陀様の言葉が出てくると気づきます。あの人もこの人も仏になる種を持った人だと。嘆いていた人生が変わります。いま仏になることが決まらないとダメです。