法話

涙を流せる場所はどこですか?

天真寺 西原龍哉

💚 9月の法話  💚

 ある日、都内の駅で待ち合わせをしていると、5歳くらいの少女が、一人で今にも泣き出しそうな顔で立っています。その駅は通勤・通学の人はもちろん、近くにある球場に向かう人たちでごった返し、次から次へと人が押し寄せてきます。どうやら少女は人の波にのまれてしまい、母親とはぐれて迷子になってしまったようです。
 その少女の姿を見た学校帰りの大学生らしい女性が、一緒にお母さんを探してくれている様子です。しかし5分経ち、10分経っても、お母さんは見つかりません。しばらくして大学生が駅員さんに尋ねると、駅員室に迷子を探す女性がいるとのこと。すぐにその女性が少女のところへ連れて来られ、やっと少女はお母さんに会えました。少女は母親の姿を見た瞬間、お母さんの胸に飛び込むと、思い切りワンワンと泣き出しました。
 少女の涙を見て、はっと気づかされました。人は悲しくても、つらくても泣けないことがあるのです。どんなに不安で心細くても、少女は一人では緊張と孤独の中で必死に耐えていたのです。母親の顔を見て、胸の中に抱かれ、初めて安心して涙を流すことができたのでしょう。
 『観無量寿経』という経典には、主人公である韋提希夫人が涙を流される場面が説かれます。マガダ国の国王・頻婆娑羅王と、そのお妃・韋提希夫人の間に、阿闍世という一人息子を授かります。しかし、その阿闍世王子は成長すると、クーデターを起こし、父王は牢獄に投獄されます。続いて母である韋提希夫人も、妃としての地位、名誉、財産をすべて奪われ、愛すべき我が子にも裏切られた悲しみの中、牢獄に投獄されます。これまで幸せな人生のためにと手に入れてきたものすべてを失い、何も頼りとするものがなくなっていくのです。
 そこに、お釈迦さまがお出ましになります。韋提希夫人は自らつけていた宝石を断ち切り、我が身を大地に投げ出して、お釈迦さまに向かって号泣されます。そして、「我が子阿闍世王子は、何の罪があってあんな悪い子になってしまったのか」「今回の事件の首謀者である者はお釈迦さまの親戚ではないですか」と愚痴の限りを尽くします。お釈迦さまはそれには何も答えず、ただその話をお聞きになります。
 疲れ切った韋提希夫人は、「私のために憂い悩みのない世界をお説きください」と言い、そこでお釈迦さまは苦悩を抱えたあなただからこそ救わずにはおれないと立ち上がられた阿弥陀如来のお心をお取り次ぎになりました。
 私は今、確かだと信じているものを握りしめ生きていますが、すべては末通らないものばかりです。いつか一つ一つ手放していかなくてはならないのが人生です。しかし、私は他人に弱さをさらすまい、涙など見せられないと、歯を食いしばって生きています。それはまるで迷子の少女と同じです。阿弥陀如来は、私の悩み苦しみをすべてご存じだからこそ、あなたを決して見捨てない、そして浄土に生まれていくいのちであると説き、南無阿弥陀仏の六字となって私に届いてくださっています。
 母親に抱かれた少女のように、お釈迦さまに出会った韋提希夫人のように、涙を流せる場所。それは、阿弥陀さまの前だけです。私の悩み苦しみを知っていてくださるからこそ、いつでも心を解放できるのです。仏さまのお慈悲に抱かれて生かされていることにお念仏申す日々であります。

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