法話

花火と爆弾

中原寺 平野俊斉

💚 月の法話  💚

 今年は「日本のゴッホ」と呼ばれ、「裸の大将」のモデルで知られる、画家の山下清さんの生誕100周年にあたる年だそうです。山下さんは3歳のころに重い病が原因で軽い言語障害と知的障害の後遺症を患いました。12歳の時に「踏むな、育てよ、水そそげ」を理念とする八幡学園(千葉県市川市)において、ちぎり絵に出あい、その才能をいかんなく発揮しました。類まれな観察眼と高い集中力によって描かれた作品は、驚くほど緻密で豊かな色彩に溢れ、見るものに感動を与えます。

 山下さんの作品の多くは風景画ですが、そのなかでも花火を題材としたものが多く、山下さん自身、毎年各地の花火大会に出かけるのを楽しみにしていたそうです。

そして夜空に浮かぶ色鮮やかな花火を前に、「みんなが爆弾なんかつくらないで、きれいな花火ばっかりつくっていたら、きっと戦争なんて起きなかったんだな」との言葉を残しています。ドラマや映画になった「裸の大将」では、放浪先での人々といまいち噛み合わないやりとりや、心あたたまる交流が記憶に残っていますが、もともと放浪を始めたきっかけは、「徴兵を逃れたい」という理由でした。争いを厭い、自らの心に正直に、世間や他者の眼を気にすることなく、生きておられたのでしょう。

 平和を願い、同じ火薬を使うなら、人の命を奪うためではなく、共に楽しみのために用いた方がよいと、一見あたり前で明快な理論ではあるが、花火を前にただ幻想世界に浸りきっていたわけでなく、悲しい現実も見据えていたからこその言葉だったのではないでしょうか。山下さんの心からの言葉を私たちはどのように受け止めていくのだろうか。

日本は平和な国だとか、平和ボケしているなどといわれますが、世界では今まさに戦禍に苦しみ脅えている人がおり、国内を見ても、いじめ・人権侵害・貧困に苦しむ人が数多くいます。自分とは関係ない、そのことは対岸の火事だと、自分と切り離して、自分と自分のまわりだけが平和ということが、真の平和と呼べるでしょうか。

 この身も、この心も、縁によって成り立ち、縁によって変わるといわなければならない。

 網の目が、互いにつながりあって網をつくっているように、すべてのものは、つながりあってできている。一つの網の目が、それだけで網の目であると考えるならば、大きな誤りである。    『勝鬘経(しょうまんぎょう)』

 「社会が悪い」「時代が悪い」「家庭が悪い」と、人間は自分に都合の悪いことは、その責任を他に転嫁する習性がありますが、社会・時代・家庭を構成する私という視点を忘れてはなりません。私たちの無智と煩いの悩みが、この世の現実を生み出し、この世の濁りが私に影響を与えているのです。つまり、現実に巻き込まれている私が私が巻き込んでいる現実を作り出しているのです。

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