法話

7月法話「念仏をつなぐ」

真栄寺 馬場弘道

 5月28~30日にかけて、千葉組のお坊さん有志で能登半島地震ボランティアへ行ってきました。本願寺派では金沢別院に能登半島地震支援センターを設置し、そこから被災地へ向かいボランティア活動をしています。今回の活動場所は七尾市能登島ある漁師さんの倒壊した倉庫で、瓦や木材をダンプに積み、仮置き場まで搬出するという作業でした。震災から5か月目でしたが、実際に訪れてみると倒壊した建物がそのままだったり、道路も通行止めが何カ所もあったりと、まだまだ復興への道のりは遠く感じました。
 ボランティアを終え金沢市内で夕食を食べていた時の事です。小さなお子さんの声で「なもあみだぶつ、なもあみだぶつ」とお念仏の声が聞こえたのです。声は後ろのテーブルからで、その後すぐにご家族が帰っていかれました。きっと「ごちそうさま」をしながらお念仏を称えていたのかなと思います。食事の時に「いただきます」や「ごちそうさまでした」と手を合わせる事はありますが、「なもあみだぶつ」とお念仏を、しかもお店で聞こえたのにはびっくりしましたし、また、お念仏が日常にあって継承されているんだなと嬉しくもなりました。

 北陸地方には多くの寺院とともに、信仰心の篤い真宗門徒が暮らしています。これは、本願寺中興の祖である蓮如上人(1415~1499)の北陸布教が大きく影響しています。越前の国吉崎(福井県あわら市)には坊舎『吉崎御坊』を建てて教化活動をおこない、当時は周りに宿泊施設や商店が立ち並び、一大宗教都市だったと言われています。蓮如上人は浄土真宗の要を分かりやすく説いたお手紙『御文章』をお書きになり、お念仏の教えを弘められました。

 5年ほど前、金沢市二俣にある蓮如上人のご旧跡である本泉寺にお参りさせていただいたことがあります。蓮如上人は大きく分けて3回、京都より北陸布教の旅に出られました。そしてその都度ごとに立ち寄られたのが二俣本泉寺でした。本泉寺は嘉吉2年(1442)に蓮如上人の叔父・如乗法印によって二俣に開かれました。蓮如上人は創建されて7年目の宝徳元年(1449)に初めて本泉寺を訪ね、この時は父親の存如上人(如乗法印の兄)もご一緒で、北陸布教の相談等もされたようです。
 本泉寺本堂の裏手には蓮如上人の御廟、その先には蓮如上人が造られたお庭もあり静かに迎えてくれました。如乗法印が亡くなった後にも二俣を訪れ、感謝の想いを巡らしながら庭をお造りになられたと伝えられています。『九山八海の庭』と言われるこのお庭は、阿弥陀如来のお浄土の世界を石と水・樹によって九つの山と八つの海で表現されています。自然の中でゆっくりと流れる時間に心が洗われるようでした。
そして、本泉寺から五分ほど歩いた場所に『蓮如だんご』を売っているお店があり立ち寄りました。お仕事を退職されたご夫婦が営んでおり、お話しを伺うと、昔は蓮如上人の法要の時に各家庭でだんごを作り法要をお迎えしていたようですが、過疎化もあり段々とその文化がなくなってきたので、その文化を残そうとお店を始められたそうです。本泉寺と門前町のお話も聞かせていただき、蓮如上人がここに生きているような、そんな想いにとてもあたたかい気持ちになりました。
 二俣では御文章も何通か制作されるなど、蓮如上人にとってお念仏の香る特別な場所だったのではないかと思います。蓮如上人が二俣を去られる際に詠まれた歌を紹介します。

  つくづくと 思ひくらして 入相の 鐘の響きに 弥陀ぞ恋しき 

「なもあみだぶつ、なもあみだぶつ」金沢で聞かせていただいた小さなお子さんのお念仏。蓮如上人の想い。おだんご屋さんの想い。お念仏をつなぐとはどういうことなのかを、改めて考えさせられました。
合掌