法話

9月法話「真宗は何故他力というのか?」

 

雲妙寺 大善文彦  

法蔵菩薩が、私のすること、口に出すこと、性格、心に思うこと、癖、過去の生き様等を全て診断されました。お慈悲からの故に、でした。その診断の結果、地獄行きの種しか蒔いていない「いのち」だ、と診断・結論をだされました。

法蔵菩薩は、あなたは今まで多くの迷いの世界を、涙を流しながら過ごしてきましたね。そして、私を「涙を流すことのない境涯」に生まれさせる、との目的をたてられました。どういう状況になれば「私が涙の流すことのない境涯」になるだろうか。それは、「お覚りの仏に成る以外に方法は無い」と結論をだされました。

法蔵菩薩は「地獄行き」の種まきしかできないこの私を、どうやったら「お覚りの仏」にすることができるかと五功という長い時間考えられました。そして、48のポイントを挙げられて思案されました。これならば、あの「地獄行き」の種まきしかできないいのちも「お覚りの仏」にすることできる。と判断されてから、兆載永劫の修行期間に入られました。

その法蔵菩薩が、48のポイントを完成された時、「阿弥陀仏」という仏様に成仏されました。その48のポイントが「四十八願」のことでした。
「四十八願が完成した時に、法蔵菩薩の目的だった私の成仏も決定」したのです。
その四十八願の中には、
○いのちあるもの必ず弥陀の浄土(国)に生まれさす。これが第18願。
○弥陀の浄土に一度生まれた者は必ず滅度(お覚り)に成し上げる。 これが第11願。
○「阿弥陀仏」を全ての諸仏が褒め讃える。
(この度私は、釈迦仏から、阿弥陀仏を紹介してもらいました)これが第17願です。
○弥陀の浄土に生まれた者は、娑婆世界に還り来て近しい者から阿弥陀仏のお慈悲を伝えていく。これが第22願です。
○重ねて、「私の耳に、声の相(スガタ)で現れることを、阿弥陀仏が四十八願の「まとめの一つ」として、誓われてあることをもお釈迦様が教えてくれました。


・何故「真宗は何故他力というのか?」  

それは、法蔵菩薩が四十八願を完成させて、阿弥陀仏と成仏された。このことに私の努力・手柄の入る余地は無いからです。私の努力とは、「自分中心の見方から評論した努力」です。だから、私の救いは全くの「他力」というほかは表現できないのです。と伺っております。